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戦国時代の武将
     
壁歴ポスター「壁歴・戦国篇」好評発売中!
戦国時代、天下統一を夢見た武将を収録した戦国歴史絵図
戦国時代の「武将・人物88人」
これがあれば戦国時代の武将や人物関係がわかる!!
戦国時代のテレビドラマや映画、勉強に役立つ1枚です。

 1.戦国時代に活躍した武将・人物88人を収録したポスター!
 2.天下統一を夢見た戦国武将たちを一挙にご覧にいただけます。
 3.教科書に取り上げられている人物も多数収録。学習目的でも活躍!
 4.全ての人物にイラストと解説つきの歴史人物絵図。
  さらに裏面で人物を詳しく解説。楽しく見て、知識力もアップ!

壁貼りで楽しめる歴史人物絵図 !
戦国時代に活躍した武将・人物88人を
収録したB2版の両面ポスターです。
天下統一の夢を成し遂げるために活躍した、武将・人物88人を一挙掲載。戦国武将たちが織り成す天下統一への息吹を感じ取ってもらえることでしょう。表裏の両面印刷。表面は絵巻風表現で、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、上杉謙信、武田信玄など戦国武将の関係を意識してより分かりやすく楽しんでいただけるよう配置を工夫しました。裏面は表面の配置をそのままに、人物解説情報を中心に構成しています。「歴誕」が1枚のポスターにこめて制作した渾身の戦国絵図を是非お楽しみください。
   
□ポスターの内容  
●サイズ:B2(515×728mm)・両面印刷
●小売販売価格/税込840円
 (送料別)
  
戦国時代・戦国武将ポスター
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戦国篇「武将・人物88人」ポスター/表面部分
戦国武将・人物を当時の服装を再現したイラストで収録。
 見ごたえあるポスターに仕上げました。
(※肖像画などが現存していない場合は、当時を想像して再現しています。)
  
戦国武将ポスター
戦国篇「武将・人物88人」ポスター/裏面部分
裏面は、表面と同じフォーマットで「生没・出身・主な所属」なども加え、
戦国武将・人物をより詳しく解説しています。
 
戦国武将ポスター
戦国篇「武将・人物88人」ポスター/表面
それぞれの武将との結びつきを考慮して武将・人物の配置にも工夫。
「織田信長と織田四天王」「豊臣秀吉」「徳川家康と徳川四天王」「上杉謙信」「武田信玄」
「毛利両川」「真田一族」「後北条」など、核となる武将やグループを分け
その周りに関係する武将・人物を配置しています。
   
戦国武将・人物ポスター
   
戦国篇「武将・人物88人」ポスター/裏面
裏面は、表面と同じフォーマットで「生没・出身・主な所属」なども加え、
戦国武将・人物をより詳しく解説しています。
   
戦国武将ポスター解説
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壁歴ポスター/戦国編「武将・人物88人」掲載人物一覧
□戦国武将
織田信長/おだのぶなが
天文3(1534)〜天正10(1582)
今川義元を桶狭間の戦で破ったのち、各地で戦に勝利して勢力を広げる。しかし天下統一目前で明智光秀の謀反に遭い死去した。
豊臣秀吉/とよとみひでよし
天文5(1536)(天文6とも)〜慶長3(1598)
尾張の百姓の子として生まれ、織田信長に仕える。信長死後、その後継者となり、天下統一を果たした。日本史上稀な立身出世を遂げた人物である。
徳川家康/とくがわいえやす
天文11(1542)〜元和2(1616)
今川氏の人質時代を経て独立し、勢力を伸ばす。織田信長とは同盟し、豊臣秀吉には従属したが、秀吉の死後、関ヶ原の戦に勝利。江戸幕府を開いた。
上杉謙信/うえすぎけんしん
享禄3(1530)〜天正6(1578)
越後の戦国大名で、武田信玄とのライバル関係は有名。晩年には反織田信長勢力の要として上洛を目指すものの間に合わず、天正6年に死去した。
武田信玄/たけだしんげん
大永元(1521)〜天正元(1573)
周囲の勢力と渡り合いながら、甲斐、信濃、駿河などの大領域を手中にする。後に西方への進軍を開始するが、その途上で病死した。
毛利元就/もうりもとなり
明応6(1497)〜元亀2(1571)
安芸の小領主に生まれたが、一代にして中国地方のほとんどを手中にした。戦にも政治にもすぐれた戦国屈指の英雄である。
真田信繁(幸村)/さなだのぶしげ(ゆきむら)
永禄10(1567)?〜元和元(1615)
関ヶ原の戦では西軍に付き、戦後は蟄居となった。大坂の陣には豊臣側で参戦し、伝説的な活躍を見せた。
北条氏康/ほうじょううじやす
永正12(1515)〜元亀2(1571)
後北条氏三代当主。武田信玄、今川義元などとたびたび衝突しつつも、後北条氏を大きく発展させた名将である。
明智光秀/あけちみつひで
1528(享禄元)?〜天正10(1582)
織田信長の重臣。天正10年に突如叛乱を起こし、信長を討つ(本能寺の変)が、自身もまもなく討たれた。
浅井長政/あさい・あざいながまさ
天文14(1545)〜天正元(1573)
織田信長の同盟者だったが、後に信長と戦い、敗れて滅んだ。
朝倉義景/あさくらよしかげ
天文2(1533)〜天正元(1573)
浅井氏と協力して織田信長と戦ったが敗北。滅亡した。
足利義昭/あしかがよしあき
天文6(1537)〜慶長2(1597)
室町幕府十五代将軍にして最後の室町幕府将軍。織田信長と対立して京を追放された。
足利義輝/あしかがよしてる
天文5(1536)〜永禄8(1565)
室町幕府十三代将軍。幕権回復をめざしたが、松永久秀らに暗殺された。
井伊直政/いいなおまさ
永禄4(1561)〜慶長7(1602)
武勇にすぐれた猛将。赤い防具で統一した精鋭部隊を率いており、これは「井伊の赤備え」と呼ばれた。
池田恒興/いけだつねおき
天文5(1536)〜天正12(1584)
織田信長の家臣。本能寺の変後は豊臣秀吉に与したが、小牧・長久手の戦で戦死した。
今川義元/いまがわよしもと
永正16(1519)〜永禄3(1560)
駿河の戦国大名。領国の支配を固めて西方への侵攻を開始するも、織田信長と戦って敗れた(桶狭間の戦)。
上杉景勝/うえすぎかげかつ
弘治元(1555)〜元和9(1623)
上杉謙信の後継者。豊臣秀吉に臣従し、関ヶ原の戦でも西軍についた。戦後は領地を減らされたが大名として存続。
宇喜多秀家/うきたひでいえ
元亀3(1572)〜明暦元(1655)
豊臣政権の五大老の一人。関ヶ原の戦で西軍側につき、戦後八丈島に流された。
大友宗麟(義鎮)/おおともそうりん
享禄3(1530)〜天正15(1587)
北九州のキリシタン大名。領内での布教を許可し、南蛮貿易も行った。
織田信忠/おだのぶただ
弘治3(1557)〜天正10(1582)
織田信長の長男。後継者の位置にあったが、本能寺の変の際に自害した。
加藤清正/かとうきよまさ
永禄5(1562)〜慶長16(1611)
幼時より豊臣秀吉に仕えた、戦国屈指の剛将。関ヶ原の戦では東軍に付き、戦後は肥後の大名となった。
蒲生氏郷/がもううじさと
弘治2(1556)〜文禄4(1595)
豊臣政権で大領地を得たエリート的武将だったが、四十歳の若さで病死した。
吉川元春/きっかわもとはる
享禄3(1530)〜天正14(1586)
毛利元就の次男。吉川家に養子として入り、その立場から毛利本家を支えた。
京極高次/きょうごくたかつぐ
永禄6(1563)〜慶長14(1609)
姉は豊臣秀吉の側室、妻は浅井三姉妹の初。その関係を活かし、名門・京極氏を復活させた。
黒田長政/くろだながまさ
永禄11(1568)〜元和9(1623)
関ヶ原の戦では東軍で大活躍し、戦後は筑前に五十二万石もの領地を得た。
黒田孝高(官兵衛/如水)/くろだよしたか(かんべえ/じょすい)
天文15(1546)〜慶長9(1604)
豊臣秀吉に仕えた。知将として有名で、現代では「秀吉の軍師」などとも称される。長政は息子。
顕如/けんにょ
天文12(1543)〜文禄元(1592)
本願寺の十一代法主。教団を率いて織田信長と激しく争った(石山合戦)。
小早川隆景/こばやかわたかかげ
天文2(1533)〜慶長2(1597)
毛利元就の三男で、小早川家の養子となって毛利本家を支えた。豊臣政権の中枢メンバーとしても用いられた。
小早川秀秋/こばやかわひであき
天正10(1582)〜慶長7(1602)
小早川隆景の養子。関ヶ原の戦の最中に西軍を裏切ったことが有名。戦後は大名になったが早世した。
斎藤道三/さいとうどうさん
明応3(1494)?〜弘治2(1556)
土岐氏に仕えていたが、やがて美濃の大名にまで成り上がった。戦国時代を象徴する人物の一人である。
酒井忠次/さかいただつぐ
大永7(1527)〜慶長元(1596)
徳川(松平)家の古くからの重臣である。家康の有名な戦のほとんどに参加し、長く家康を支えた。
榊原康政/さかきばらやすまさ
天文17(1548)〜慶長11(1606)
勇将の誉れ高く、数々の戦で活躍した。しかし武功派だったため、江戸開府後は政権から遠ざかっている。
真田信之/さなだのぶゆき
永禄9(1566)〜万治元(1658)
関ヶ原の戦では東軍に付き、父・昌幸や弟・信繁と敵味方に分かれた。戦後は大名となって真田家を存続させた。
真田昌幸/さなだまさゆき
天文16(1547)〜慶長16(1611)
信之、信繁の父。知将として知られ、居城・上田城に攻め寄せた徳川軍を寡兵で打ち破ったことは有名である。
柴田勝家/しばたかついえ
大永2(1522)?〜天正11(1583)
織田信長の重臣。しかし、本能寺の変の後、豊臣秀吉と戦って敗れ、自害した(賤ヶ岳の戦)。
島清興(左近)/しまきよおき(さこん)
?〜慶長5(1600)
石田三成に仕えた。三成には勿体ないと言われるほどのすぐれた武将だったという。
島津義弘/しまづよしひろ
天文4(1535)〜元和5(1619)
薩摩の大名・島津貴久の次男。島津氏の勢力拡大に貢献した。関ヶ原の戦で、敵中突破しての大退却を行った。
滝川一益/たきがわかずます
大永5(1525)〜天正14(1586)
織田信長に古くから仕えた。本能寺の変の後に豊臣秀吉と対立、交戦するが敗北した。以後は秀吉に従っている。
武田勝頼/たけだかつより
天文15(1546)〜天正10(1582)
武田信玄の後継者。長篠の戦で大敗してから凋落が始まり、天正10年に織田軍に破れてついに滅んだ。
竹中重治(半兵衛)/たけなかしげはる(はんべえ)
天文13(1544)〜天正7(1579)
豊臣秀吉の下で働いた。黒田孝高と並ぶ知将として有名である。
立花宗茂/たちばなむねしげ
永禄12(1569)?〜寛永19(1642)
関ヶ原の戦で西軍に与し、戦後は浪人となったが、後に大名の座に復帰した。
伊達政宗/だてまさむね
永禄10(1567)〜寛永13(1636)
東北地方に勢力を築くが、豊臣秀吉に臣従した。秀吉死後は徳川家康に接近し、後に江戸幕府の大名となった。
長宗我部元親/ちょうそかべもとちか
天文8(1539)?〜慶長4(1599)
四国統一を成し遂げた土佐の大名。後に豊臣秀吉の四国征伐に遭い、結局土佐一国の大名に落ち着いた。
筒井順慶/つついじゅんけい
天文18(1549)〜天正12(1584)
僧侶としての顔も持つ武将。大和侵攻を画策した松永久秀と激しく争った。
藤堂高虎/とうどうたかとら
弘治2(1556)〜寛永7(1630)
戦、築城、領地経営と多彩な才能を持ち、徳川家康ほか数多くの主君に仕えた。
徳川秀忠/とくがわひでただ
天正7(1579)〜寛永9(1632)
徳川家康の後継者。関ヶ原の戦に遅参するという失態もあったが、後に将軍になった。
豊臣秀頼/とよとみひでより
文禄2(1593)〜元和元(1615)
秀吉の後継者。関ヶ原の戦の後、一大名へと転落する。後に大坂の陣に敗れて母・茶々(淀殿)とともに自害した。
直江兼続/なおえかねつぐ
永禄3(1560)〜元和5(1619)
上杉景勝の重臣。景勝時代の上杉氏の領国経営を支え、その能力は豊臣秀吉にも高く評価されたという。
丹羽長秀/にわながひで
天文4(1535)〜天正13(1585)
本能寺の変が起こると豊臣秀吉に協力して明智軍を討った。以後も秀吉を積極的に支持する立場を取っている。
服部正成(半蔵)/はっとりまさなり(はんぞう)
天文11(1542)〜慶長元(1596)
本能寺の変の直後、伊賀者を使って徳川家康の逃避行(神君伊賀越え)を支えたという。
福島正則/ふくしままさのり
永禄4(1561)〜寛永元(1624)
幼少より豊臣秀吉に仕えた武将。賤ヶ岳の戦で活躍した「七本槍」の筆頭にも数えられる。
古田織部(重然)/ふるたおりべ(しげなり)
天文13(1544)〜元和元(1615)
大坂の陣の後、敵方との内通を疑われて自刃した。千利休の教えを受けた一流の茶人でもあった。
北条氏政/ほうじょううじまさ
天文7(1538)〜天正18(1590)
後北条氏四代当主。豊臣秀吉に最後まで臣従せず戦ったが、敗れて切腹させられた。
北条早雲(伊勢宗端)/ほうじょうそううん(いせそうずい)
永享4(1432)?〜永正16(1519)
幕臣から今川氏入りし、やがて関東地方に独立勢力を築いたらしい。小勢力から大名にまでなった最初期の人物である。
細川勝元/ほそかわかつもと
永享2(1430)〜文明5(1473)
室町幕府の名家・細川家当主。山名持豊と対立し、これが応仁の乱に発展した。
細川忠興/ほそかわただおき
永禄6(1563)〜正保2(1645)
藤孝の子で後継者。関ヶ原の戦で大活躍し、戦後に大領地を与えられた。
細川藤孝(幽斎)/ほそかわふじたか(ゆうさい)
天文3(1534)〜慶長15(1610)
織田信長に仕え、本能寺の変が起こると忠興に家督を譲った。当時最高峰の文化人でもあった。
本多忠勝/ほんだただかつ
天文17(1548)〜慶長15(1610)
戦国時代有数の強将と伝わる。小牧長久手の戦では、数万の敵軍に数百の手勢で立ち向かおうとしたという。
本多正信/ほんだまさのぶ
天文7(1538)〜元和2(1616)
徳川家康に仕えた武将。知能派であり、政治力が必要とされる場面で重用された。
前田利家/まえだとしいえ
天文7(1538)?〜慶長4(1599)
織田信長に仕える。信長死後、一時豊臣秀吉と対立するが、ほどなくして降った。晩年は豊臣政権の重鎮であった。
前田利益(慶次)/まえだとします(けいじ)
天文10ごろ?(1541)〜慶長10(1605)ごろ?
小説やコミックにより一挙に知名度の上がった武将。上杉氏に仕えて武功を挙げたという。
松永久秀/まつながひさひで
永正7(1510)〜天正5(1577)
三好長慶に仕えた後、織田信長に仕えるが、二度も裏切って信長に滅ぼされた。
三好長慶/みよしながよし
大永2(1522)〜永禄7(1564)
室町幕府の権力を掌握することで、全国規模の政権を一時成立させた。これは三好政権とも呼ばれる。
毛利輝元/もうりてるもと
天文22(1553)〜寛永2(1625)
毛利元就の孫。関ヶ原の戦で西軍総大将だったが、動きが消極的だったため許され、毛利氏は存続となった。
最上義光/もがみよしあき
天文15(1546)〜慶長19(1614)
山形盆地を掌握し、さらなる領土拡大を目指した。伊達政宗とも度々争っている。
森長可/もりながよし
永禄元(1558)〜天正12(1584)
織田信長に仕え、武田征伐戦などで活躍した猛将。しかしその後、若くして戦死している。
森乱丸(蘭丸/成利)/もりらんまる(らんまる/しげとし)
永禄8(1565)〜天正10(1582)
長可の弟。信長に小姓として仕えたが、本能寺の変において討死した。
柳生宗矩/やぎゅうむねのり
元亀2(1571)〜正保3(1646)
剣術家として有名。徳川家康に仕え、初期の幕政にも参画している。
山内一豊/やまのうち・やまうちかずとよ
天文14(1545)〜慶長10(1605)
関ヶ原の戦の後、土佐の大名となる。聡明な妻と協力して出世したことで有名である。
山名持豊(宗全)/やまなもちとよ(そうぜん)
応永11(1404)〜文明5(1473)
応仁の乱で西軍を率い、細川勝元の東軍と戦った。しかし乱の最中に急死した。
山本勘助/やまもとかんすけ
明応2(1493)?〜永禄4(1561)
武田信玄の軍師的存在だったとも伝わるが、定かではない。川中島の戦で戦死したという。
□戦国時代の芸術家
出雲阿国/いずものおくに
?〜?
詳しい経歴は不明だが、出雲出身の巫女ともされる。京などで「かぶき踊り」の興行を行ったという。
狩野永徳/かのうえいとく
天文12(1543)〜天正18(1590)
日本絵画史を代表する画家。代表作に「唐獅子図屏風」などがあり、安土城や大坂城の障壁画も描いた。
千利休(宗易)/せんのりきゅう(そうえき)
大永2(1522)〜天正19(1591)
現代に続く「侘び茶」の完成者。織田信長、豊臣秀吉に仕え、茶人として頂点に上り詰めた。
長谷川等伯/はせがわとうはく
天文8(1539)〜慶長15(1610)
この時期、狩野永徳と並び立つ絵師。日本式の水墨画を確立したと言われる「松林図屏風」などが代表作。
□戦国時代の女性
市(お市の方/小谷の方)/いち(おいちのかた/おだにのかた)
天文16(1547)?〜天正11(1583)
織田信長妹、浅井長政正室。浅井氏が滅んだ後は柴田勝家と再婚する。勝家が滅んだ際に、自らも運命を共にした。
大政所(天瑞院/なか)/おおまんどころ(てんずいいん/なか)
永正10(1513)?〜文禄元(1592)
豊臣秀吉の実母。徳川家康を秀吉に臣従させるため、人質となったことが有名である。
北政所(高台院/おね)/きたのまんどころ(こうだいいん/おね)
天文18(1549)?〜寛永元(1624)
豊臣秀吉正室。秀吉との間に子はなかったが、秀吉は彼女を終生重く扱った。
千代(まつ/見性院)/ちよ(まつ/けんしょういん)
弘治3(1557)〜元和3(1617)
「山内一豊の妻」として知られる。夫を助け、出世に導いた賢妻だったという。
江(崇源院)/ごう(すうげんいん)
天正元(1573)〜寛永3(1626)
浅井三姉妹三女。三度結婚し、三人目の夫が徳川秀忠。秀忠との間には家光らを儲け「将軍の母」となった。
茶々(淀殿)/ちゃちゃ(よどどの)
永禄10(1567)?〜元和元(1615)
浅井三姉妹長女。豊臣秀吉の側室となり、後継者・秀頼を生む。しかし大坂の陣に敗れ、秀頼とともに自害した。
濃姫(帰蝶)/のうひめ(きちょう)
天文4(1535)?〜?
斎藤道三の娘で織田信長正室。政略結婚だったが、詳しい人物像は分かっていない。
初(常高院)/はつ(じょうこういん)
永禄12(1569)?〜寛永10(1633)
浅井三姉妹次女、京極高次正室。大坂の陣の頃は徳川と豊臣をつなぐ使者の役目を果たした。
まつ(芳春院)/まつ(ほうしゅんいん)
天文16(1547)〜元和3(1617)
前田利家正室。北政所と親しく、豊臣秀吉主催の「醍醐の花見」にも同行した。
細川ガラシャ(たま)/ほそかわがらしゃ(たま)
永禄6(1563)〜慶長5(1600)
明智光秀娘、細川忠興正室。キリスト教の熱心な信者で、ガラシャは洗礼名である。
□戦国時代の宣教師
ザビエル/ざびえる
1506〜1552
イエズス会の宣教師。天文18(1548)年に来日し、日本で初めてキリスト教布教を開始した。
バリニャーノ/ばりにゃーの
1539〜1606
イエズス会の宣教師。ローマへの日本人使節派遣を計画した(天正遣欧使節)。
   
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