歴史上、学問領域をまたいで活躍した人物はたくさんいます。かのレオナルド・ダ・ヴィンチもそうでした。そして、17世紀のドイツに生きた大天才、ライプニッツもその一人。数学、天文学、物理学をはじめ、哲学や言語学、医学、地理学、文学……信じられないほど多くの分野で一流と言える業績を残したのです。
1716年の7月1日にドイツで生まれたライプニッツは、幼少の時からその才能を大いに発揮し、十代の半ばですでに大学に籍をおいていました。大学では法学を学びましたが、この頃から哲学にも興味を持ち、やがてその関連から数学の研究を始めたと言われます。もちろん他の分野でも活躍を続け、外交官や歴史学者としても業績を残しました。
ニュートンとライプニッツ
ライプニッツと同時代を生きたもう一人の偉大な学者にニュートンがいます。ニュートンは古典物理学の完成者として知られるほか、微積分を発見した人物としても有名です。この微積分については、ニュートンとライプニッツの間に有名なエピソードがあります。微積分の発見者の座をめぐる争いです。ライプニッツとニュートンは、ほぼ同時期に微積分の方法を発表したのです。微積分と言えば近代数学上最も重要な発見のひとつ。この発見者問題は二人の時代には解決せず、後々まで学者たちの論議の的となりました。
今日では、最初に微積分を発見したのはニュートンの方というのが定説となっています。しかし、両者の発見の過程には違いがあり、ニュートンは物理学の方向から、ライプニッツは数学の方向から、それぞれ独自に同じものを発見したと言われます。ただ、微積分においては現在でも用いられている積分記号はライプニッツの創案。「関数」「座標」などの言葉も彼が生み出したものです(ライプニッツは記号づくりの名人とも言われます)。総合的に見ると、この先陣争いは痛み分けだったのかも知れません。
17世紀にコンピュータ
コンピュータの分野でもライプニッツはある業績を残しています。17世紀にコンピュータ?と思われるかも知れませんが、別にコンピュータを創ったわけではなく、その源流とも言える考え方を示したのです。どんな理論や思想も記号へと分解し、計算によって解くことが出来るという考え方です。これに関連する形で、ライプニッツは二進法の研究で成果をあげました。ご存じのとおり、二進法は現在のコンピュータの根幹にある記数法です。
今のコンピュータとは全く異なるものですが、ライプニッツは計算機も造りました。それはハンドルを回して動作させる機械式の計算機でした。それまでにも機械式計算機は存在したものの、実行出来るのは加減算だけでした。しかし、ライプニッツのものは乗除も可能だったのです。機械式の計算機はコンピュータが普及を始める二十世紀の半ばごろまで、複雑な計算を行う際に活躍しましたが、その仕組みは基本的にライプニッツが造ったものと変わりないものでした。
天才すぎて?
多彩な分野で活躍したライプニッツですが、18、9世紀ごろには、その業績はあまり評価されませんでした。いや、評価されなかったと言うよりその全貌が正確に理解されなかったのです。ライプニッツが残した原稿等は膨大すぎて彼が生きているうちには出版されなかったということもあります(なんと現在でも未完のままです)。やったことが多すぎてよく理解されなかったとすれば、皮肉なことです。
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