ルネサンス。文芸復興とも訳され、芸術や思想、科学などの分野が古代の輝きを取り戻したヨーロッパ史上もっとも重要な時代の一つ。そんなルネサンス期において「万能の天才」と賞賛される人物がレオナルド・ダ・ヴィンチです。同時代のミケランジェロ、ラファエロとともに、ルネサンスを代表する三人の一人にも数えられます。このレオナルド・ダ・ヴィンチ、一体どのような人物だったのでしょう。
その生い立ち
レオナルド・ダ・ヴィンチは1452年4月15日、イタリアはトスカーナ地方のヴィンチという村で生まれました。レオナルド・ダ・ヴィンチとは「ヴィンチ村のレオナルド」というほどの意味です。私生児でしたが、そのために不遇のもとに育てられたということもなく、父や家族達に可愛がられたようです。
さて、レオナルドは長ずるにつれ絵画や彫刻の分野で大きな才能を発揮してゆきます。やがて当時の有名な画家、ベロッキオのもとに弟子入りし(14歳頃と言われます)、本格的な絵画の修行をスタートすることになりました。ここからレオナルドは「万能の天才」への道を駆け上がってゆくのですが、その過程にはなかなか面白いエピソードが多く伝えられています。今回はそれらのエピソードを中心にご紹介しましょう。
師を超える
レオナルドの画家としての腕前が若年から際立ったものであったことを示す、こんなエピソードがあります。
レオナルドが弟子入りしたベロッキオは、指導者としても優れた力を持っていると言われた人物でした。彼のもとで画力を伸ばしたレオナルドは師の「キリストの洗礼」という作品の助手をつとめました。レオナルドは作中の天使の絵を担当したのですが、出来映えを見て師のベロッキオは仰天しました。余りに素晴らしかったのです。これはかなわないと見たベロッキオは筆を折り、以後彫刻の道に専念したということです。レオナルド20歳頃のことと伝えられます。
未完成の男
レオナルドは遅筆だったと伝えられます。大画家として今なお讃えられてはいますが、実は絵画だと20点程度しかその作品は残されていません。しかもその多くが未完成であると言われます(有名な『モナリザ』や『最後の晩餐』ですら未完成であるとされます)。彫刻の類はほぼ現存していませんが、当時の記録を見るに、やはり未完成で終わったものがかなりあったようです。ただし、絵や彫刻の設計図とも言える素描などはかなりの数を残していますから、単に筆が遅いというだけではなく、気持ちが乗らなければ描けない気質、悪く言えば気紛れな面も持ち合わせていたのでしょう。天才肌の人物像を想像させるエピソードです。
ライバル
同時代の大芸術家として、先に挙げたミケランジェロがいますが、彼はレオナルドのライバル的存在でした。二人が顔を合わせることはほとんどありませんでしたが、徐々に名声を高めてゆくミケランジェロを(ミケランジェロはレオナルドより20歳以上年下です)レオナルドが意識していたのは確かなようで、自著の中で彼をこき下ろすような記述も残しています。ミケランジェロの方も負けてはおらず、やはりレオナルドに対して挑発的な評を行ったと伝えられます。
実はこの二人が直接対決する機会が一度だけありました。フィレンツェ政庁の会議室に壁画を描くよう、レオナルドとミケランジェロ両方に依頼が出たことがあるのです。壁画を描く壁は正に向かい合わせの壁で、これは二人の意地がぶつかり合う大競作になるはずでした。しかしこの計画は途中で消滅します。レオナルド側の絵が嵐で流れてしまった、塗料が不備であったなど、理由は諸説ありますが、実に残念なことです。
レオナルドのノート
レオナルドの凄さは画業だけではありません。画業以外のさまざまな分野において非凡な才能を発揮しました。彫刻や音楽など絵画以外の芸術分野においても才能を発揮しましたし、解剖学などの医学分野、工学分野、建築分野、思想・哲学分野、数学分や、天文学分野とあらゆる分野で研究を行っています。その成果は膨大な量のノートにまとめられていますが、その詳細な研究が進んだのは近代に入ってからのことです。それらは驚くべきものでした。
例えばヘリコプターやグライダー、潜水艦などのアイデアが書き留められていました。自動計算機やロボットのアイデアもありました。数学、物理学など学問上の発見もありました。その他数え上げればきりがないほどのアイデアや発見が含まれていました。その中には現在では使い物にならない、明らかに間違ったアイデアも多くありましたが、現在の技術や理論に通じるアイデアも多くあったのです。彼が「万能の天才」と呼ばれるゆえんです。
ちなみに、これらのノートに書かれた文字は左右が反転し、右から左へと書かれています。鏡で見ると正しく見える「鏡文字」なのです。左手で書く方が好みだったからとも、中身を盗み見られないようにするためとも言われますが詳細は分かりません。ノートの研究が遅れた理由の一つとして、この鏡文字の存在もあったのです。これもまた風変わりなエピソードです。
万能の天才
ルネサンスは文芸の復興と同時に、人間性の復興する時代でもありました。人間という存在に不変の万能性が求められたのです。「万能の天才」とはルネサンスが理想とする人物像に他なりません。あらゆる分野で業績を残したレオナルド。その多才ぶりはルネサンスという時代にぴったりと合わさるものでした。彼は正にもっともルネサンスらしい人物、ルネサンスの象徴的存在だったのです。
レオナルド・ダ・ヴィンチがその生涯を閉じたのは1519年5月2日のことです。晩年は母国の政情不安もあってヨーロッパを転々とし、最後の地となったのはフランスでした。
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