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れきたん歴史人物伝
れきたん歴史人物伝は、歴史上の有名人の誕生日と主な歴史的な出来事を紹介するコーナーです。月に一回程度の割合で更新の予定です。バックナンバーはこのページの最後にまとめてあります。


6月号 2006年6月27日更新

【今月の歴史人物】
江戸の作家魂
滝沢馬琴(曲亭馬琴)
明和4(1767).6.9〜嘉永元(1848).11.6

今月号のイラスト
滝沢馬琴
◆師匠がライバル。
(C) イラストレーション:結木さくら


6月の主な誕生人物
01日 カルノー/物理学者
02日 エルガー/作曲家
    サド/小説家 
03日 佐佐木信綱/歌人
    デュフィ/画家
04日 ケネー/経済学者、医者
05日 ケインズ/経済学者
    スミス/経済学者
06日 ブラウン/物理学者
    ベラスケス/画家
    マン/小説家
07日 梅田雲浜/江戸時代の儒者
08日 シューマン/作曲家
    カッシーニ/天文学者
    広津柳浪/小説家
    土岐善麿/歌人
09日 滝沢馬琴/江戸時代の読本作者
    スティーブンソン/技術者
    山田耕筰/作曲家
10日 徳川光國/江戸時代の水戸藩主
    多能村竹田/画家
    山岡鉄舟/幕臣、政治家
11日 シュトラウス/作曲家
    川端康成/小説家
12日 花井卓蔵/弁護士
    キングスリー/小説家
13日 ヤング(トマス)/物理学者、医学者、考古学者
14日 クーロン/物理学者
15日 空海/平安時代の僧
    グリーグ/作曲家
    佐藤信淵/農政学者
16日 荻原井泉水/俳人
17日 クルックス/物理学者、化学者
    ストラビンスキー/作曲家
18日 モース/動物学者
    ラディゲ/詩人
19日 パスカル/数学者、物理学者、哲学者
    太宰治/小説家
20日 ホプキンズ/生化学者
    白河天皇/第72代天皇
21日 サルトル/哲学者、小説家、劇作家
22日 フンボルト/言語学者、政治家
    田中義一/政治家、軍人
23日 水野忠邦/江戸時代の老中
    林述斎/儒者
    三木露風/詩人
24日 ビアス/小説家、ジャーナリスト
    ビアス/作家
25日 ガウディ/建築家
26日 木戸孝允/政治家、幕末の志士
    ケルビン/物理学者
    バック/小説家
27日 小泉八雲/文学者
    ケラー/福祉活動家
28日 ルソー/思想家
    ルーベンス/画家
29日 黒田清輝/画家
    サン=テグジュペリ/小説家
30日 サトー/外交官

今回は江戸後期の読本作家、滝沢馬琴をご紹介します。
読本とは挿し絵の少ない物語本で、現在で言うところの小説に近いものと言えるでしょう。馬琴はその読本のベストセラー作家でした。現代の作家も個性的な人が多いようですが、江戸の馬琴もそれに負けていなかったようです。滝沢馬琴とはどんな人物だったのでしょう。

馬琴出奔す
滝沢馬琴は明和4(1767)年6月9日、江戸の下級武士の家に生まれました。馬琴は作家になってからのペンネームで、本名は興邦、あるいは解といいます。ちなみにこの馬琴というペンネームは正式には「曲亭馬琴」。「滝沢馬琴」という呼び方は本名とペンネームの組み合わせで、後世に使われるようになったもののようです。ただ、現在でも多くの書籍・資料で「滝沢馬琴」の名が使われていますのでここでは滝沢馬琴と表記します。
馬琴は少年時代に兄、父と死別しています。馬琴の家は下級武士でしたが、この下級武士というのは旗本の用人家でした。用人とは武士とは言え立場的には武士の召し使いにあたります。武士と庶民の中間的な存在と言えるかも知れません。父を失った馬琴はわずか10歳で主家に仕えることとなりました。
ところがこの主家の主人というのがあまりいい人物ではなかったようで、14歳の時に馬琴は主家を飛び出してしまいました。

放浪の時代
その後の馬琴は職や主家を替えながら転々と暮らします。本格的な作家活動に入るまでに経験した職業は占い師や俳諧師、果ては医師見習いまでさまざま。馬琴は青年時代を、江戸の町を放浪しながら過ごしたのです。
しかし馬琴はどうしようもない馬鹿者であったというわけではないようです。医師見習いを経験していることから分かるように、頭脳は明晰でした。後の読本作品にも詰め込み過ぎというくらいに持てる知識を詰め込んでいます。体格もよく、力も強かったようです。また、この放浪時代に母と死別していますが、その看病も熱心にしました。馬琴とは武士ならではの文武両道の面と、放浪生活を送ってしまうような放蕩の面と、二つの異なる面を持った人物であったのです。そんな内面の複雑さこそが、作家としての馬琴に力を与えたのかもしれません。

山東京伝に弟子入り
さて、職を転々とする中、馬琴は俳諧や物語の執筆を始めます。この執筆活動が縁で、馬琴は当時の大作家である山東京伝への弟子入りできることになりました。馬琴が20代半ばのことです。時は折りしも寛政時代で、松平定信による寛政の改革が進行中でした。当代一の流行作家であった山東京伝は幕府に風俗を乱すとして目を付けられており、執筆ができない状態にまで追いやられていました。そんな事情から、馬琴はひとまず京伝の代作者として、読本作家としての本格的なキャリアをスタートさせることになります。
やがて馬琴は出版者の紹介で結婚もし、代作者ではなく独立した作家としてのヒット作も生み始めました。出版ごとに作品は評判を呼び、ついに馬琴は師の京伝と肩を並べるまでの作家へと成長するのです。ちなみに、作家として花開いた後の馬琴は京伝を強く意識していたようで、著作には京伝を牽制するような記述も見られます。馬琴の気の強さが伺い知れるエピソードです。

大長編「南総里見八犬伝」
馬琴の作風は勧善懲悪、因果応報の整ったもので、筋立ても非常に整然としていました。そんな馬琴の集大成とも言える作品が、かの有名な「南総里見八犬伝」です。
詳しい内容は省きますが、この作品は全98巻の大長編。何と28年にも渡って書き続けられました。執筆の途中で馬琴は失明し(目の酷使が原因と言われています。馬琴は締め切りや約束を守る人で、多作でもあったため、作家生活の中で目を傷めてしまったのでしょう)、執筆できなくなるというトラブルにも見舞われました。それでも馬琴は息子の嫁に口述筆記させてこの作品を書き続けたのです。この嫁はもともと読み書きの素養がなく、馬琴がそれを教え込んで口述筆記させたといいます。口述筆記の態勢が整うまでかなりの苦労があったと推測できます。また、馬琴と共同作業している嫁に対し、馬琴の妻が嫉妬して嫁を苛めるということも起きました。それでも書き続け、遂に完成させたのですから、これは馬琴の執念というほかありません。

江戸に「作家」がいた
放浪生活から作家への弟子入り、自らも大作家となり、失明しても書き続ける。馬琴の人生は正に波乱万丈です。そんな人生の風景に、武家出身の一徹さ、生来の聡明さ、気の強さ、頑固さ、さまざまな要素が溶け合い混じり合って、作家・滝沢馬琴が生まれたということでしょう。作家らしい作家が、既に江戸時代にいたのだという思いがします。
馬琴が亡くなったのは嘉永元(1848)年の11月6日。南総里見八犬伝完成の7年後でした。

 


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