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れきたん歴史人物伝
れきたん歴史人物伝は、歴史上の有名人の誕生日と主な歴史的な出来事を紹介するコーナーです。月に一回程度の割合で更新の予定です。(バックナンバーはこのページの最後にもまとめてあります)


12月号 2015年12月31日更新

【今月の歴史人物】
誰もが知る有名音楽家
ベートーベン
1770.12.17(洗礼日)〜1827.3.26


今月号のイラストベートーベン ◆運命は戸をたたく。大工も戸をたたく。
(C) イラストレーション:結木さくら



12月の主な誕生人物
01日 矢野文雄/小説家、政治家
02日 スーラ/画家
03日 永井荷風/小説家
04日 カンディンスキー/画家
04日 カーライル/歴史家
05日 ロセッティ/詩人
05日 ハイゼンベルク/物理学者
06日 大河内正敏/科学者/実業家
07日 西郷隆盛/政治家
07日 ホイジンガ/歴史家
07日 与謝野晶子/歌人
08日 津田梅子/教育者
09日 山崎闇斎/儒学者、神道家
10日 ディキンソン/詩人
11日 北村季吟/江戸時代の古典学者、俳人
11日 コッホ/細菌学者
11日 ベルリオーズ/作曲家
12日 福沢諭吉/教育者、思想家
12日 ムンク/画家
13日 ハイネ/詩人、評論家
13日 田山花袋/小説家
14日 ブラーエ/天文学者
15日 エッフェル/建築家
15日 ネロ/ローマ皇帝
15日 ベクレル/物理学者
15日 ザメンホフ/言語学者
16日 オーステン/小説家
17日 ベートーベン/作曲家
18日 志賀潔/細菌学者
19日 蘇軾/詩人、芸術家、政治家
20日 北里柴三朗/細菌学者
21日 ディズレーリ/政治家
21日 スターリン/政治家
22日 東郷平八郎/軍人
22日 プッチーニ/作曲家
23日 徳田秋声/小説家
24日 鈴木貫太郎/政治家、軍人
24日 ジュール/物理学者
25日 ニュートン/物理学者、数学者
25日 ユリトロ/画家
26日 徳川家康/江戸幕府初代将軍
26日 菊池寛/小説家
26日 ミラー/小説家
26日 岡倉天心/美術研究家
27日 ケプラー/天文学者
27日 頼山陽/儒者
27日 パスツール/細菌学者
28日 ウィルソン/政治家
29日 グラッドストン/政治家
29日 ポンパドール/ルイ15世愛妾
30日 キップリング/小説家、詩人
30日 東条英機/軍人、政治家
30日 小杉放庵/画家
31日 マチス/画家
31日 マーシャル/軍人、政治家

ドイツ出身の音楽家、ベートーベンといえば日本人でも知らない人はいないといってもいいほどの有名人物でしょう。今月はこのベートーベンの生涯をご紹介いたします。

若き日々・ウィーンへ
ベートーベンが生まれたのは1770年12月のこと。生誕地はドイツのボンです。日本でいうと江戸時代の中期、かの田沼意次が正式に老中になる直前の時期です。
なお、ベートーベンは、現代で言ういわゆる「誕生日」は分かっておらず、12月17日に洗礼を受けたことが伝わっています。
ベートーベンの祖父も父も宮廷歌手でした。つまりは音楽を生業とする家に生まれたわけですが、この父が酒びたりで横暴と、どうもあまりよくない人物だったようです。ベートーベンの家は祖父の援助に頼って暮らしていましたが、この祖父が死去すると、父は幼いベートーベンにほとんど虐待のように音楽を教え込み、あのモーツァルトと同じような「神童」として売り出し、稼がせようとしたそうですから呆れたものでした。
ともかく、こうして音楽を身につけたベートーベンは、神童とはいかなかったものの、幼くして演奏会を開くまでに腕を上げました。16歳の年にはウィーンに渡り、あこがれていたモーツァルトと対面。このときモーツァルトはベートーベンの才能に感心したと伝わります。ベートーベンはモーツァルトに弟子入りを希望していたとも言われますが、折り悪く母が病に倒れ、ボンへと戻らねばならなくなりました。しかも、母は間もなく亡くなり、まだ若いベートーベンは家族の面倒を見る立場に立たされたのです。
ベートーベンは宮廷音楽家として忙しく働き、さらに音楽の修練もこなしました。そんな彼が、たまたまボンを訪れていたハイドンの目に留まりました。ハイドンも、現代までよく知られている有名な音楽家です。ベートーベンはハイドンに師事し、ふたたびボンからウィーンへと渡ります。ベートーベン、22歳の年のことです。その後、ベートーベンがボンに帰ることはもう生涯ありませんでした。

難聴
ウィーンでのベートーベンの音楽活動は、当初まずまず順調だったといってよいでしょう。ベートーベンは即興演奏が大変に得意で、それによって高い評判を得ていました。やがてはハイドンからも独立し、ピアニスト、作曲家としてひとりだちしてゆきます。
しかし、そんなベートーベンを不幸が襲います。ご存知のかたも多いでしょう、その不幸とは「難聴」でした。音楽家、ことに演奏家にとって難聴は、そのキャリアを終わらせてしまうかもしれない重大なできごと。ベートーベンも遺書をしたためるほど悩みます。
しかしベートーベンはこの苦難を乗り越え、素晴らしい曲を数多く創作してゆきます。「ダダダダーン」というはじまりで誰もが知る「運命(交響曲第5番)」や「田園(交響曲第6番)」などはその頃の作品です。

ベートーベンの逸話群
ここで、ベートーベンに関するいくつかのエピソードをご紹介しましょう。
・恋多き人
ベートーベンといえば、学校の音楽室に飾られていることの多い、あの険しい顔をした肖像画を思い浮かべるかたも多いでしょう。しかしながら、若い頃のベートーベンはなかなか見た目がよく、おしゃれで、さまざまな女性と交際したという話が伝わっています。しかし、年を取るごとに服装や髪型に無頓着になっていったとも伝わります。
・難聴
難聴の原因には諸説あります。耳の中にある骨が硬くなり、耳が聞こえなくなってしまった、という説が有力ですが、鉛中毒が原因だったという説もあります。なぜ鉛中毒になったのかということも諸説あるのですが、当時、甘味料として使われていた鉛のせいとも言われます。残されていたベートーベンの髪から、実際に高濃度の鉛が検出されたのは事実です。また、ベートーベンは持病が多く、神経性の腹痛を患っていたほか、さまざまな臓器に不調を抱えていたようです。
・年末の「第九」
ベートーベンの作品の中で、「運命」と並んで有名なのが、交響曲第9番、通称「第九」です。年末に演奏会がたくさん催されますが、このような現象は他の国ではあまりないようです。「第九」が年末に演奏されるようになった理由にはさまざまな説があるものの、どうやら「第九」は聴衆の受けがよく、何かとお金が必要になる年末年始の準備として、戦後間もない時期にある楽団が演奏会を催したことがルーツ、というのが有力だそうです。とはいえ、曲の雰囲気も年末という時期によくマッチしていて、風物詩になるのもなんとなく理解できますね。

その死
ベートーベンは40代に差し掛かったことろには完全に耳が聞こえなくなりました。しかし作曲活動は続け、かの「第九(交響曲第9番)」は53歳のときに完成させたものです。初演が終わったとき、ベートーベンは聴衆の大喝采にまるで気付かず、促されて振り返ってみて初めてその様子が分かった...というのはよく知られたエピソードでしょうか。
それから数年しか経たない1827年の3月26日、ベートーベンは肝硬変により亡くなりました。葬儀には2万人もの人々が参列したといいます。

 



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