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れきたん歴史人物伝
れきたん歴史人物伝は、歴史上の有名人の誕生日と主な歴史的な出来事を紹介するコーナーです。月に一回程度の割合で更新の予定です。(バックナンバーはこのページの最後にもまとめてあります)


7月号 2016年7月31日更新

【今月の歴史人物】
極地探検で偉業
アムンゼン
1872.7.16〜1928.6


今月号のイラスト アムンゼン◆極地探検はアムンゼン運転で。
(C) イラストレーション:結木さくら

7月の主な誕生人物
01日 ライプニッツ/哲学者、数学者
02日 ヘッセ/小説家、詩人
03日 カフカ/小説家
04日 ガリバルディ/将軍
    フォスター/作曲家 
05日 コクトー/作家
06日 ホブソン/経済学者
07日 睦奥宗光/政治家
    マーラー/作曲家
    シャガール/画家
08日 ロックフェラー/実業家
09日 レスピーギ/作曲家
10日 カルヴィン/神学者
    ピサロ/画家
    プルースト/小説家
11日 穂積陳重/法学者
12日 モディリアーニ/画家
    ソロー/作家
13日 森有礼/政治家
14日 緒方洪庵/江戸時代の医師、蘭学者
    ミュラー/生物学者
   後鳥羽天皇/第82代天皇
15日 レンブラント/画家
    国木田独歩/小説家
16日 アムンゼン/探検家
    コロー/画家
17日 徳川家光/江戸幕府三代将軍
18日 ローレンツ/物理学者
    サッカレー/小説家
    内藤湖南/歴史学者
    フック/物理学者
19日 ドガ/画家
    クローニン/小説家
20日 伊藤仁斎/江戸時代の儒者
21日 ヘミングウェー/小説家
22日 メンデル/植物学者
23日 二宮尊徳/江戸時代の農学者
    フィッシャー/哲学者
24日 谷崎潤一郎/小説家
    ボリバル/独立運動指導者
    デュマ/小説家
25日 バルフォア/政治家
26日 ユング/心理学者
    ショー/劇作家
27日 高橋是清/政治家
28日 フォイエルバッハ/哲学者
    片山哲/政治家
29日 ハマーショルド/政治家
    ムソリーニ/政治家
    重光葵/外交官
30日 フォード/実業家
31日 クラーク/教育者家
    柳田国男/民俗学者

探検家といえばまっさきに名前の挙がる人物が、今月ご紹介するアムンゼンです。最近はそうでもないようですが、少し前までは、伝記や偉人伝でもさかんに取り上げられていました。

探険家の道へ
アムンゼンの出身は、ノルウェーのボルゲという町です。1872年の7月16日に海運業の家の子として誕生しました。日本でいうと、明治維新が成った直後くらいの時期です。

アムンゼンは幼い頃から探検の物語が好きで、少年期にはすでに探検家を志していました。この頃、窓を開け放して眠り身体を鍛えていた、などというエピソードも伝わっています。

しかし人生というのはそううまくいかないもので、母親はアムンゼンに医師になることを希望していました。そのため、アムンゼンは大学で医学を学んでいます。しかし在学中にその母親が亡くなり、アムンゼンはかつての夢をかなえるために大学をやめ、船乗りとなるのです。

若き日の探検
25歳の年、アムンゼンはベルギーの探検隊に航海士として参加しました。このときの目的は南極探検でしたが、船が流氷に囲まれ、南極海で立ち往生してしまいます。しかしながらこの経験は、長い間極地で生活し、寒さのために病気になった乗組員に対応したりと、極地探険家として大変貴重なものとなりました。

続いての大きな探検は、北西航路の横断です。北西航路というのは、簡単に言うと大西洋と太平洋をつなぐ航路で、カナダ北方の諸島を通り抜けます。欧州とアジアを結ぶ航路としては最短と考えられてきたため、古くからさまざまな探検家がこの航路の征服に挑みました。しかし流氷や氷山の多い過酷な航路でもあり、誰も成功していなかったのです。

アムンゼンがこの北西航路に挑んだのは31歳の年のことでした。アムンゼンはかなり小型の船で探検に出発し、数度の越冬を経て、北西航路征服を成し遂げます。同時に、北極地方の磁極の調査も行い、大きな成果もあげました。

南極点の死闘
アムンゼンの業績で最も有名なのが南極点への到達です。成し遂げたのはアムンゼン39歳の年のことでした。

はじめアムンゼンは北極点到達を目指していたようですが、このころちょうど、別の探検家が北極点に辿り着いたという報があり、南極点をめざすことに変更したのです。

この南極点への探検で特によく知られるのが、イギリスの軍人探検家・スコットの隊との先着争いです。アムンゼンの目標変更(北極点から南極点へ)が突然だったこともあり、この争いは熾烈を極めました。結局先に南極点に到達したのはのはアムンゼンで、スコットに先んじることわずかに1か月の勝利でした。

アムンゼンの勝利の要因はいくつかあったと言われます。まず、アムンゼンが選んだのは未調査の短いルート、スコットが選んだのは調査済みの長いルートで、これがアムンゼンにとって奏功しました。さらに、アムンゼンは移動手段として、寒さに強く、丈夫な犬を選択しました。つまり、犬ぞりによる移動です。一方、スコットは馬と雪上車を選択しましたが、馬は寒さに倒れ、雪上車は故障し、その探検行をひじょうに困難なものとしたのです。

後れを取ったスコット隊は失意の中に沈み、しかも隊長のスコットは、帰路、荒天にとらわれ、帰還しきれずに現地で亡くなっています。

探検に死す
南極点到達という、当時の探検家にとって最高の栄誉を勝ち取ったアムンゼンは、飛行船によってではあるものの北極点にも到達しました。55歳の年には来日もし、各地で公演をおこなっています。

その死は来日の翌年です。北極を飛行機で探検しているさなか、遭難したイタリアの探検隊を探しに向かい、そのまま消息不明となりました。数ヵ月後、アムンゼン機の破片が海上で発見されており、アムンゼンは飛行機で墜落して亡くなったことがほぼ確定的と考えられています。

 



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