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れきたん歴史人物伝
れきたん歴史人物伝は、歴史上の有名人の誕生日と主な歴史的な出来事を紹介するコーナーです。月に一回程度の割合で更新の予定です。(バックナンバーはこのページの最後にもまとめてあります)


9月号 2016年9月30日更新

【今月の歴史人物】
後世の科学に大きな影響を残す
ドルトン
1766.9.6〜1844.7.27


今月号のイラストドルトン ◆原始の振る舞いをたドルトン。
(C) イラストレーション:結木さくら

9月の主な誕生人物
01日アストン/物理学者
01日真山青果/小説家
02日伊藤博文/政治家
03日黒板勝美/歴史学者
04日ブルックナー/作曲家
05日ルイ十四世/フランス国王
06日ド−ルトン/化学者、物理学者
07日エリザベス1世/イギリス女王
07日嵯峨天皇/第52代天皇
08日ドヴォルジャーク/作曲家
09日リシュリュー/政治家
09日副島種臣/政治家
10日中橋徳五郎/政治家、実業家
10日バタイユ/思想家、評論家
11日後白河法皇/弟77代天皇
11日ノイマン/物理学者
12日アスキス/政治家
12日徳田球一/社会運動家
13日シューマン/ピアニスト
13日フンボルト/博物学者
14日太宰春台/江戸時代の儒者
15日朱子/学者
15日石田梅岩/心学者
15日岩倉具視/政治家
16日竹久夢二/画家
17日正岡子規/俳人、歌人
17日リーマン/数学者
18日横山大観/画家
18日土屋文明/歌人
19日アンリ3世/フランス国王
20日シンクレア/小説家
21日菱田春草/画家
22日ファラデー/物理学者
22日吉田茂/政治家
22日幸徳秋水/社会運動家
23日オクタヴィアヌス/ローマ帝国皇帝
24日ワレンシュタイン/軍人
24日フィッツジェラルド/小説家
25日石橋湛山/政治家
25日ケッペン/気候学者
26日ハイデガー/哲学者
26日エリオット/詩人
26日ガーシュイン/作曲家
27日ボシュエ/神学者、説教家
27日マハン/軍人、歴史学者
28日メリメ/小説家
28日クレマンソー/政治家
29日徳川慶喜/江戸幕府15弟将軍
29日ネルソン/軍人
29日フェルミ/物理学者
30日ガイガー/物理学者

今月ご紹介するのは、イギリスの科学者・ドルトンです。一般的な知名度はほどほどといったところですが、その名を冠する物理法則も残る大科学者の一人です。

少年時代から教師
ドルトンが生まれたのは1766年9月6日のこと。生地は現在のイギリス中部に位置するカンバーランド州です。1766年とは、日本で言えば江戸時代の中ごろ、十代徳川家治の治世で、いわゆる田沼時代の入り口あたりの時期です。
ドルトン家の家業は織物で、暮らし向きはひじょうに貧しいものでした。ドルトンは地元の小学校で学んだのですが、大変優秀な少年だったらしく、小学校の教師が引退すると、そのあとを引き継いで教師になるほどでした。しかもこのとき、ドルトンはわずか12歳ほどだったというのですから大変なものです。
その後、ドルトンは講師、教師の職を続けながら独学で学び続けます。ドルトンはイギリスでは珍しいクエーカー教徒(キリスト教から派生した新興宗教)だったので、当時、大学などではなかなか学ぶことが難しい環境にあったのです。しかし、そんな中でも、ドルトンはさまざまなすばらしい発見をおこなってゆくのです。

色覚異常の研究
ドルトンの研究において有名なものの一つが、色覚異常にかんする研究でしょう。論文を発表したのは20代の終わりのころで、この分野でのさきがけとなった研究です。
実はドルトンは、自身が色覚に異常を抱えていました。色は見えていたものの、色の細かな見分けがつかないタイプの色覚異常だったようです。ドルトンはこの異常について細かく記録し、その原因等について分析しました。それらは、今日の学問から見るとまったく間違っていた部分もありましたが、遺伝的要素や症状の特徴など、合っている部分も多々あったのです。

ドルトンの原子説
ドルトンの業績において最もよく知られるのが原子についての研究、いわゆる原子説です。今日、ドルトンは化学の分野での功績がよく知られていますが、そもそも若い頃は気象についての研究をおこなっていました。この気象の研究の中から、大気、気体のふるまいに着目し、さらにはそれらが原子からなりたっているという説にたどりついたのです。原子説というのは太古のギリシア科学の時代から存在した説ではありましたが、それはいかにも思弁的・形而上的なもので、今日的な科学とは相容れない部分がありました。ドルトンの原子説は、今日の視点から見ると、いかにも未熟な部分ばかりで、証拠にも乏しい内容ではありました。しかし、同じ元素を構成する原子は同じ性質を持つこと、原子が生まれたり消えたりすることはないといったことを唱えており、それまでの原子説とは一線を画す考え方をもっていました。ドルトンの原子説は、のちの原子の研究に、近代的な方向付けをする力を持った、大変進歩的で重要な説だったのです。これらの学説を発表したのは、ドルトンが30代後半から40代にかけてでした。

晩年
ドルトンはその後もさまざまな研究をおこないました。しかし、学者の王道を進んでこなかった市井の研究者だったためか、学説を発表するにもなかなか苦労したようです。とはいえ、原子説を発表するころには名の知れた学者になっており、60歳の年にはイギリス王立協会からロイヤルメダルを受賞し、晩年には国から年金も受け取ることができました。
70歳を過ぎたころ、ドルトンは脳梗塞を発症しました。言語機能に後遺症が残ったものの研究を続け、78歳の年にとうとう亡くなりました。生涯結婚はせず、研究に人生を捧げました。

 



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