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れきたん歴史人物伝
れきたん歴史人物伝は、歴史上の有名人の誕生日と主な歴史的な出来事を紹介するコーナーです。月に一回程度の割合で更新の予定です。(バックナンバーはこのページの最後にもまとめてあります)


2月号 2017年2月28日更新

【今月の歴史人物】
絵画の時代、両巨頭
長谷川等伯
天文8(1539)〜慶長15(1610).2.24


今月号のイラスト 長谷川等伯・狩野永徳◆長谷川当惑。買うの永徳?
(C) イラストレーション:結木さくら

2月の主な誕生人物
01日 児島惟謙/裁判官
02日 菅茶山/江戸時代の儒者
02日 ジョイス/小説家
03日 メンデルスゾーン/作曲家
03日 河竹黙阿弥/歌舞伎作者
03日 西周/思想家
04日 リンドバーグ/飛行家
05日 若槻礼次郎/政治家
06日 アン女王/イギリス女王
07日 モア/思想家
08日 ヴェルヌ/小説家
09日 原敬/政治家
10日 新井白石/江戸時代の政治家、儒者
11日 エジソン/発明家
11日 小林古径/画家
11日 折田信夫/歌人、民俗学者
12日 ダーウィン/博物学者
12日 リンカーン/政治家
13日 渋沢栄一/実業家
13日 ショックレー/物理学者
14日 豊田佐吉/実業家、発明家
14日 広田弘
/政治家
14日 中川一政/画家
15日 井伏鱒二/小説家
16日 日蓮/鎌倉時代の僧
16日 荻生徂
/儒者
16日 大隈重信/政治家
17日 シーボルト/医者、博物学者
17日 島崎藤村/詩人、小説家
18日 フェノロサ/美術研究家
18日 マッハ/物理学者
19日 コペルニクス/天文学者
20日 志賀直哉/小説家
20日 ボルツマン/物理学者
21日 ザビニー/法学者
22日 ショーペンハウエル/哲学者
22日 ヘルツ/物理学者
22日 高浜虚子/俳人
23日 ヘンデル/音楽家
23日 本多光太郎/物理学者
23日 ヤスパース/哲学者
24日 パークス/外交官
24日 グリム(ウィルヘルム)/言語学者、童話集成家
24日 陸象山/儒者
25日 ルノアール/画家
25日 松方正義/政治家
26日 ユーゴー/小説家、劇作家
26日 与謝野鉄幹/歌人、詩人
27日 ロングフェロー/詩人
27日 シュタイナー/哲学者
28日 モンテーニュ/思想家
29日 ロッシーニ/作曲家

安土桃山時代といえば、芸術が大きな発展を遂げた時代。さまざまな芸術家が現れ、活躍した時代です。むろん、絵画分野もその例外ではありません。今月は、その安土桃山時代を中心に活躍したふたりの絵師をとりあげます。

長谷川等伯
生まれた日ははっきりしませんが、天文8(1539)年に能登国(現在の石川県)で生まれたと伝わります。かの織田信長豊臣秀吉らよりやや年下です。

父は武士で、戦国大名・畠山氏に仕えた人物でしたが、商人の養子となります。その養父に絵の心得があり、その影響のもと、等伯も絵の道に入ります。等伯の画才はゆたかで、10代、20代のころにはすでに質の高い作品をいくつも残しています。

30代に入ると養父が亡くなったこともあり、等伯は京都へと上ります。言うまでもなく京都を中心とする近畿地方は、当時の文化の先進地であり、この地での暮らしは等伯を大きく成長させました。当時の大物文化人であった千利休とも関わることができました。その縁で絵の仕事を貰うようにもなり、等伯の画名は上昇し始めます。

当時の画壇トップといえば「狩野派」でしたが、等伯も「長谷川派」となる集団を率い、狩野派の牛耳る画壇に切り込みます。狩野派をさしおいて、寺社の障壁画を受注するなど、長谷川派は勢いを増してゆきました。

利休が死に、時の天下人であった豊臣秀吉が死に、徳川家康の世になっても、等伯の画名は衰えず、さまざまな依頼を受け、多くの作品を残しました。その最後は江戸幕府成立後の慶長15(1610)年。家康に招かれて江戸に向かったのですが病を発し、江戸到着後すぐにこの世を去りました。

等伯の作品
長谷川等伯、の名を知らないという人でも、おそらくその作品は目にしているでしょう。等伯は肖像画の名手で、有名な「武田信玄像」はかれの手になるものです(ただし、この作品は、さまざまな手がかりから、信玄ではなく、別人を描いたものという評価が定着しつつあるのですが)。また、これも有名な「利休居士(千利休)像」も、実は等伯の作品です。

そんな等伯の作品の中で、記念碑的な位置を占める重要な作品が水墨画「松林図」です。日本の水墨画を完成させた一作ともされ、国宝に指定されています。

狩野永徳
天文12(1543)年1月13日、狩野永徳は誕生しました。祖父・元信は戦国期から江戸期において画壇のトップを占める「狩野派」の様式を確立させた名絵師、父の松栄はその様式を受け継いだ絵師。まさに永徳は、狩野派のサラブレッドとして生まれます。

永徳は、いわば絵画のエリート街道を歩みました。狩野派のクライアントは京都の貴族や戦国大名など大物ばかりで、永徳は若い頃から彼らの依頼で作品を描いています。30代、40代のころには、織田信長や豊臣秀吉の依頼で、安土城や大坂城の障壁画も描いたと伝わります。上記、長谷川等伯の長谷川派とのライバル関係があったのもこのころでしょう。

しかしながら、永徳は天正18(1590)年、47歳で亡くなります。若い、とは言えないまでも、長生きだったとは言えないでしょう。働きすぎが身体を蝕んだため、とも言われます。

永徳の作品
名家の跡取りといえば、小さくまとまってしまう、いまいち殻を破れない...といった人物もありますが、永徳の場合はそれにはまったく当てはまらず、確かな才能、確かな腕前を持っていました。権力者に依頼されて、施設の障壁画を多く描いた関係から、現存する作品は少ないのですが(施設そのものが現存していないため)、残った作品は日本絵画史に燦然と輝くものばかり。中でも有名なのは「唐獅子図屏風」でしょう。二匹の唐獅子が描かれた、絢爛豪華・大迫力の巨大な屏風絵です。当時、数多く描かれた「洛中洛外図」では、永徳のものが傑作。その細密さと巨大さは圧倒的であり、信長から上杉謙信への贈り物だったと伝わります。国宝に指定されている作品です。

 



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