今回は、五千円札の肖像としてもおなじみの明治の女流作家・樋口一葉をご紹介します。近代最初の女流作家として今もその名を広く知られている一葉の生涯は波乱に満ちたものでした。
和歌の手習い
樋口一葉は明治5(1872)年3月25日、東京の下級官吏の次女として誕生しました。父は則義といい、もともと甲斐の農民の出。妻(一葉の母)とともに江戸へと出てきた後、働いて武士の株(武士になるための権利)を購入して武士となった身でした。維新後は役人になり一家を支えていたのです。そのおかげで一葉はそれなりに安定した少女時代を送ることができました。
学業の面でも並々ならぬ才能を持っていたようです。幼児より読書に親しみ、当時の小学校にあたる学校を優秀な成績で進級していました。しかし、女子に学問など必要ないという母の反対により、中途で退学することになります。時代の不幸でした。
しかし、父の方は一葉の才能を高く買っていました。知人のもとで和歌を習わせたほか、一葉十四の年に、当時気鋭の女流歌人であった中島歌子の歌塾「萩の家」に入塾させたのです。一葉はたちまち才能を発揮し、数多い門下の中でも一目置かれる存在となりました。一葉は小説とともに和歌においてもその名を知られていますが、その実力はこうした流れの中で磨かれたのでしょう。
苦難の中へ
しかし、安定した暮らしはやがて終焉を迎え、一葉の人生に苦難の時代が訪れます。一葉の上には二人の兄がいましたが、長兄が病死したのです。次兄は陶芸家になるために家を出てゆきました。そんな中で父は事業に失敗し、借金を作り、失意のうちに病死してしまうのです。そして、樋口家を戸主として継承することになったのが、ほかならぬ一葉でした。この時一葉十七歳。当時の十七歳と今の十七歳は違っていたでしょうが、それでも一葉にとってどれほどの重圧であったことでしょうか。また、父は死の直前にある法学生を一葉の夫とするように計らっていました。自分亡き後の家族を心配してのことだったでしょう。しかしその婚約も、破棄されてしまいました。樋口家が一気に困窮のどん底に落ちたからでした。かくして一葉のもとには、母と妹と借金だけが残ったのです。
執筆開始
それから一葉一家は針仕事や着物の洗い張りをしてなんとか暮らしを立てていきます。しかし収入は微々たるもの。一家の生活は極めて苦しいものでした。そんな折、一葉は歌塾の先輩であった田辺花圃という女性が小説を執筆して稿料を得たことを知ります。それに影響された一葉も小説の執筆を志し、新聞記者にして小説家の半井(なからい)桃水という人物に弟子入りしました。これが一葉が本格的に小説を書くきっかけとなりました。一葉の小説は、まさに困窮の中からスタートしたのです。「一葉」の筆名もこの頃から使われ始めています。波に翻弄されながら漂う一枚の葉をイメージしたものと言われます。
一葉の第一作目が発表されたのは桃水が主宰する同人誌でした。桃水はその後も作品と生活の両面で一葉をサポートし続け、やがて一葉は桃水に恋心を抱くようになったといいます。しかし、歌塾内におけるいざこざなどが原因となり、桃水とは絶縁します。その後も結局、二人の恋が成就することはありませんでした。
輝く時
桃水との別れの後、一葉は「うもれ木」という作品を発表し、これが文壇に高く評価されることとなります。桃水との別れという経験が作品に力を与えたとすれば皮肉なことでした。
ただし、小説が一つ評価されたとは言え、暮らし向きが楽になることはありませんでした。一葉は執筆のかたわら、小さな商売を始めるなど、生活してゆくための努力を続けました。しかしその商売もうまく軌道に乗らず、わずかな期間で廃業しています。
ところが、ここから一葉の小説がいよいよ輝きを増してゆくのです。商売をやめ、執筆に専念した一葉は「大つごもり」「にごりえ」「たけくらべ」などの作品を次々と発表します。
これらの作品は森鴎外や幸田露伴といった当時の大小説家から高い評価を得、一葉の名は広く知られるようになってゆきました。
ところが、一葉の活躍はここで終わってしまいます。病でした。1896年の11月23日。樋口一葉は肺結核のため、25歳という若さでこの世を去りました。
困窮が生んだ二年
「たけくらべ」をはじめとする傑作の数々は、わずか二年ほどの期間に執筆されたということをご存じでしょうか。むろん、驚くべき短期間です。奇跡と言われることすらある二年です。
これらは、庶民の貧しさや女性であることをテーマにとった作品でした。困窮生活を続け、また、当時にあって女性の戸主という立場はさまざまな苦労をもたらしたことでしょう。一葉最期の二年間は、そんな苦労の中から生まれ、いよいよ結実した二年間だったのでしょう。困窮の中に生き、若くして亡くなった一葉。その作品は、正に困窮があったからこそ誕生したのです。なんとも切ないことです。
もし一葉に困窮がなければ、どんな小説家となっていたのでしょうか。そして、後に続く与謝野晶子や平塚らいてうなどの女流作家たちに、どんな影響を与えることになったのでしょうか。時の連鎖とでも言うべきものの不思議さを感じさせる人物、それが樋口一葉でした。
|