歴誕ホームへ歴誕カレンダーとはWEB歴誕カレンダー歴誕通販れきたんQ&A個人情報について通信販売表示
れきたん歴史人物伝歴誕制作ばなしれきたん壁紙リンクお問い合わせオーダーメイドカートの中身を見る

  

れきたん歴史人物伝
れきたん歴史人物伝は、歴史上の有名人の誕生日と主な歴史的な出来事を紹介するコーナーです。月に一回程度の割合で更新の予定です。バックナンバーはこちらから(このページの最後にもまとめてあります)


7月号 2007年7月24日更新

【今月の歴史人物】
認められた偉業
メンデル
1822.7.22〜1884.1.6

今月号のイラスト
メンデル
◆報われぬ研究もジ・エンドウ
(C) イラストレーション:結木さくら


7月の主な誕生人物
01日 ライプニッツ/哲学者、数学者
02日 ヘッセ/小説家、詩人
03日 カフカ/小説家
04日 ガリバルディ/将軍
    フォスター/作曲家 
05日 コクトー/作家
06日 ホブソン/経済学者
07日 睦奥宗光/政治家
    マーラー/作曲家
    シャガール/画家
08日 ロックフェラー/実業家
09日 レスピーギ/作曲家
10日 カルヴィン/神学者
    ピサロ/画家
    プルースト/小説家
11日 穂積陳重/法学者
12日 モディリアーニ/画家
    ソロー/作家
13日 森有礼/政治家
14日 緒方洪庵/江戸時代の医師、蘭学者
    ミュラー/生物学者
   後鳥羽天皇/第82代天皇
15日 レンブラント/画家
    国木田独歩/小説家
16日 アムンゼン/探検家
    コロー/画家
17日 徳川家光/江戸幕府三代将軍
18日 ローレンツ/物理学者
    サッカレー/小説家
    内藤湖南/歴史学者
    フック/物理学者
19日 ドガ/画家
    クローニン/小説家
20日 伊藤仁斎/江戸時代の儒者
21日 ヘミングウェー/小説家
22日 メンデル/植物学者
23日 二宮尊徳/江戸時代の農学者
    フィッシャー/哲学者
24日 谷崎潤一郎/小説家
    ボリバル/独立運動指導者
    デュマ/小説家
25日 バルフォア/政治家
26日 ユング/心理学者
    ショー/劇作家
27日 高橋是清/政治家
28日 フォイエルバッハ/哲学者
    片山哲/政治家
29日 ハマーショルド/政治家
    ムソリーニ/政治家
    重光葵/外交官
30日 フォード/実業家
31日 クラーク/教育者家
    柳田国男/民俗学者

現在、非常に将来の期待されている科学分野の一つに遺伝学があります。遺伝子の研究は大変な速度で進行し続けており、その成果は医療や食品など、さまざまな分野に応用されようとしています。
この遺伝学発展の礎を築いた人物はメンデルといいます。いわゆる「メンデルの法則」の発見者です。ところがこのメンデルの法則は、彼の生前に認められることはなかったということをご存じでしょうか。
遺伝の法則の発見者、メンデル。今回は彼の人生をご紹介します。

修道士メンデル
メンデルは1822年7月22日、当時のオーストリア帝国の小さな農村(現在のチェコに含まれる地方)において誕生しました。成長すると学校で哲学を学び、20歳を過ぎた頃に修道院入りします。
メンデルの入った修道院は、神学のほかにもさまざまな分野の学問研究が盛んでした。少年時代から科学に関心のあったメンデルは、修道士として過ごす日々のかたわら、独学で自然科学の勉強を行います。
数年が経ち、メンデルは司祭の地位へと上り、近くの学校で学問を教えることも始めました。やがてメンデルは修道院長の推薦のもと、ウィーン大学において本格的に自然科学を学ぶ機会を得ます。そして、大学から戻ったメンデルは、いよいよ遺伝の研究に着手することとなるのです。

エンドウマメの実験
当時、遺伝の存在は知られていたものの、その詳しい法則性までは知られていませんでした。メンデルは実験により、親から子へと特徴が受け継がれていく様子を系統的に記録・整理し、遺伝の法則性を見つけようと考えました。
メンデルが行った遺伝の実験とはエンドウマメを使うものでした。まずメンデルは、マメの色や形、花や株の様子など、はっきりとした特徴を代々受け継いでいるエンドウマメを選び出しました。このように、はっきりとした特徴を代々受け継いでいる個体を「純系」と呼びます。遺伝の法則を確認するには純系の使用は不可欠。親の特徴が不安定であれば子の特徴も不安定になるからです。純系に着眼したからこそ、メンデルは親から子へ伝わる特徴をしっかり見定めることが可能になったと言えるでしょう。
そして、ここからが実験の本番。選び出した純系をかけ合わせる手順です。純系同士をかけあわせて、子に出てくる特徴はどうなるのか、子をかけ合わせるとどうなるのか。メンデルはこれらを丹念に実行、記録し、分析しました。その結果、特徴の受け継がれ方にしっかりした法則性のあることを発見したのです。これが有名なメンデルの法則です。
メンデルはこれらの実験を、修道院の庭でなんと約8年もかけて行いました。非常な忍耐力と熱意が感じられます。
そうして、いよいよこの研究成果を発表する時がやってきます。

冷たい反応
長い年月をかけてまとめられた研究成果。ところが、それに対する反応は冷たいものでした。法則の数学的な面が、当時の生物学のあり方にあまりにも馴染まず、まるで理解されなかったためと言われます。メンデルはどれほどがっかりしたことでしょうか。
メンデルはその後も数年に渡り研究を続けましたが、やがて研究の世界から離れてゆきます。気落ちして、とうとうやる気をなくしてしまったのでしょうか?
もちろん、そうではありませんでした。この頃、修道院長が亡くなり、メンデルは新たな修道院長に選任されたのです。修道院長となったからには、非常に責任も重くなります。折りしも、当時のオーストリア政府による修道院への課税強化も行われつつあり、メンデルは修道院長としてこの問題に立ち向かわねばならないということもありました。メンデルは急激に忙しくなり、研究に手をかけている暇がなくなってしまったのです。

認められた男
修道院長となって約15年後、メンデルは61歳でその生涯を終えました。何年もかけてエンドウマメを栽培し、一つの大きな真実に到達したメンデル。その忍耐と努力は、遂に生前に認められることはありませんでした。しかし、この話には続きがあります。メンデルの研究成果は忘れ去られなかったのです。
1900年のことでした。オランダのド・フリースをはじめとする3人の学者が、それぞれ別に、なおかつほぼ同時にメンデルと同様の発見を成し遂げます。そして、これをきっかけに、ようやくメンデルの研究成果が脚光を浴びることとなったのです。メンデルの死から16年、メンデルによる初めての研究発表から実に35年の歳月が流れていました。
以後、メンデルの法則はさまざまに応用されながら、遺伝学はもちろんのこと、自然科学全般、ひいては社会のさまざまな分野に対しても大きな影響を与えてきました。
現在では、科学史上に燦然と輝く大発見を成し遂げた人物として、メンデルの名は全世界に知れ渡っています。こういう報われ方もあるのだと、歴史が示してくれているようにも思われます。

 


ホーム歴誕カレンダーとはWeb歴誕カレンダー歴誕通販れきたんQ&A個人情報について通信販売表示

取扱店・プレスリリースれきたん歴史人物伝れきたん編集室れきたん壁紙リンクお問い合せ


Copyright (C) 2007 有限会社 秋山ワークス