二宮金次郎、といえば薪を背負い、本を読みながら歩く姿を誰もがイメージするのではないでしょうか。最近はその数も減少傾向にあるようですが、刻苦勉励のシンボルとして、一昔前はほとんどの小学校に銅像が建っていたものです。ところがこの二宮金次郎、その薪を担いだイメージが強すぎるためか、「よく勉強して偉くなった人」というあたりで人物像がストップし、具体的な業績がぼやけてしまっている感もあります。果たして金次郎=尊徳は一体何を成し遂げた人物だったのか。今回はそれをご紹介いたします。
苦難と努力
二宮尊徳は天明七(1787)年7月23日、相模国(現在の神奈川県)の百姓の家に生まれました。実家はなかなかに裕福であったと伝わっています。長男であった尊徳は、そんな環境の中で不自由もなく成長し、父のあとを継いで百姓となるのが本来の道であったでしょう。しかし、実際はそんな風にはなっていません。それどころか、尊徳の前には大きな苦難が待ち受けていたのです。
まず尊徳が幼少のとき、洪水の被害によって家の田畑が大きな損害を受けるという出来事がありました。ここから家運が傾き、尊徳が十代半ばになる頃には父母が相次いで病没します。尊徳の実家はほとんど崩壊の体に陥り、尊徳は伯父の家に引き取られて暮らすことになってしまったのでした。
伯父の家での尊徳は農作業に励み、その一方で勉学にも励みました。刻苦勉励の徒というイメージはこの頃のものです。(だだし、「薪を担いで本を読んだ」というあの有名な姿は、実は後世の創作で、真実ではないと言われています)ともかく、農業に、学問に精を出した尊徳は、二十歳の頃に実家へと戻ることが出来ました。そうして失った土地も買い戻し、ついに家の復興に成功したのです。
農村復興の道へ
家の復興を成し遂げた尊徳は、その他にもさまざまな仕事に関わってゆきます。例えば、武家への奉公もその一つ。小田原藩家老家に勤めて財政の整理を行ったのです。そして尊徳は、みごと勤め先の財政を立て直しました。これで名を売った尊徳は、その後はさらに大きな仕事の中に足を踏み入れていきます。当時は江戸幕府の後期。財政的に疲弊する地域が各地に続出していました。これへの対策を、尊徳が請け負うことになったのです。
はじめに受けた大仕事は下野国の桜町という土地の復興でした。尊徳はこれに打ち込みました。途中には天保飢饉もありましたが、それも乗り切り、約15年もの歳月を費やして土地復興に成功したのです。農村の復興における尊徳の手法が花開いた瞬間と言えるでしょう。(ちなみに、尊徳が復興した桜町という土地は、現在は「二宮町」という名になっています)
さて、それでは尊徳の手法とはどのようなものだったのでしょうか。それは「分度」と「推譲」というものを柱とするやりかたでした。「分度」とは平たく言えば分をわきまえた暮らしをすること。持つ力や財産に応じた計画を立て、その中でやりくりすることをいいます。そうして生活すれば必ず余裕が生まれます。そこで出てくるのが「推譲」。現れた余裕を他へ譲るということです。足りないところへ回してゆくと言ってもいいでしょう。この「分度」「推譲」を意識することで、多くの人の暮らしが楽になるというわけです。
ついに幕府お抱えに
その後も尊徳は、関東地方を中心にさまざまな土地の復興に携わりました。また、尊徳の教えを受けた弟子たちも各地に散らばり、尊徳式のやり方で土地復興を進めました。
五十代半ばの頃、尊徳はついに幕府に直接取り立てられるまでになりました。当時の老中・水野忠邦に見込まれ、天領(幕府の直轄地)の経営等に携わることを命じられたのです。それは、実家がほとんど消滅しかけ、親戚の家に引き取られてやっと生き延びてきた青年の大逆転劇だったかも知れません。
その後も尊徳は土地復興・経営に尽力し、安政三(1856)年10月20日に69歳で亡くなりました。
リーダーの実像
以上が尊徳の人生のあらましですが、最後にちょっとしたこぼれ話をご紹介しましょう。「分度」「推譲」を柱とし、幾多の土地を救ってきた尊徳でしたが、実は全ての土地で成果をあげたわけではありませんでした。「分度」を守って余りを出すというやり方は、言葉では簡単ですが、実地に行うとなると辛いことも多くあるでしょう。また、尊徳が土地復興を行うときには、大変細かい計画を立て、その計画を守って、強力に仕事を進めたといいます。この方針についていけない人々、反発する人々もかなりあったらしいのです。二宮尊徳とは、真面目で頑固、己にも他人にも厳しい人物だったのでしょう。ちなみに、外見は大変いかつい大男だったとも伝わっています。疲弊した農村を駆け回り、時には人々の反発をも受けたリーダー「二宮尊徳」。聖者のような「二宮金次郎」よりも、より一層魅力的ではないでしょうか。こういうことを考えると、あの薪を背負って本を読む姿も、今までとは少し違って見えてくる気がします。
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