イギリス女王・ヴィクトリア。彼女が女王であった「ヴィクトリア時代」は、近代イギリスのまさに絶頂期と言っていいでしょう。この時代を支えた女王の人生はいかなるものだったか。今回はヴィクトリア女王の人生を追ってみましょう。
転がり込んだ王位
ヴィクトリアが誕生したのは1819年5月24日のことです。日本は江戸時代の後期で、将軍は十一代徳川家斉。いわゆる文化文政時代のまっただ中にありました。
ヴィクトリアの父はケント公エドワードといいます。エドワードは当時のイギリス王ジョージ三世の息子。ちなみにこのジョージ三世、その在位中にはアメリカの独立やナポレオンとの戦いなど、ヨーロッパ史上きわめて重要な諸事件が起こっています。在位期間も60年と非常に長く、イギリス史の中でも重要かつ人気のある王の一人とも言われます。
つまりヴィクトリアはイギリス国王の孫として生まれたわけですが、当時のイギリス王室は、実は後継者不足に悩まされており、王の息子達が次々と結婚を決めている状況にありました。実のところ、ヴィクトリアの父エドワードが子供をつくろうと考えたのも、そこに理由があったのです。
そして、ヴィクトリアが生まれた直後頃から、いよいよイギリス王室の状況が動き始めます。まず父エドワードがヴィクトリアが生まれてしばらく後に病で亡くなり、続いて国王のジョージ三世が亡くなりました。王位継承権を持っていた従兄弟(ジョージ三世の孫)もありましたが、誕生直後に亡くなっていました。このため、ジョージ三世の後継であるジョージ四世が王位についた時、ヴィクトリアは伯父達に続く王位継承順第三位という地位に押し上げられていました。この時、ヴィクトリアはわずか一歳の赤ん坊に過ぎません。
その後、ジョージ四世が亡くなり、そのあとをウィリアム四世が継ぐと、伯父の一人が亡くなっていたこともあり、王位継承順一位になりました。このため、ウィリアム四世が亡くなった時、ついにヴィクトリアは王位を継承することになったのです。この時、ヴィクトリアは18歳でした。
夫との絆
こうしてイギリスに若き女王が誕生したわけですが、経験不足からか、はじめのうち、ヴィクトリアの女王ぶりはそれほど良いものではなかったようです。特定の政治家や政党に肩入れするなど、国王として少々ふさわしくない行動もありました。
そんな女王も、21歳で結婚し、そこから成長し始めます。結婚相手はドイツ出身の公子、アルバート。母方の叔父でベルギー王であったレオポルド一世の勧めによる結婚でした。このレオポルド一世はヴィクトリアが非常に信頼していた人物であり、ヴィクトリアは即位前から王としての心構えなどもアドバイスしてもらっていました。そんな叔父から紹介されたアルバートをヴィクトリアはひと目で気に入ったといいます。やがて二人は結婚します。
さて、このアルバートがもし無能であったならば、ヴィクトリア女王の時代は良き時代としてイギリス史に記憶されなかったかもしれません。しかし事実はその反対で、アルバートは大変に有能な人物でした。はじめはヴィクトリアも「王の仕事は王の仕事」と思っていたらしく、アルバートに国務を任せることを拒んだようです。しかし、やがてヴィクトリアはアルバートに仕事をまかせ、またアドバイスも求めるようになっていきました。アルバートもそれに応え、大変素晴らしい働きぶりを見せました。王室内部の改革や王室の経営は、アルバートの主導によって順調に行われ、政治向きの活動もアルバートによってバランスよく行われました。また、ヴィクトリア時代に行われた一大イベントに、最初の万国博覧会である「ロンドン万博」がありますが、これを成功に導いたのもアルバートの手腕であったと言われます。つまり、アルバートが実務を仕切り、ヴィクトリアが権威を運用するという形で、この時期のイギリス王室は見事に回っていったのです。アルバートは当時のイギリスの大物政治家の信頼も得ていたといいますから、本当に有能な人物だったのでしょう。
二人は仕事上のコンビネーションがよいだけでなく、夫婦仲もむつまじいものでした。多くの子供ももうけています。ちなみに、子供達は成長するとヨーロッパ各国に散らばり、その地の王族と結婚しました。
しかし、そんな二人の時代もそう長くは続きませんでした。ヴィクトリアが42歳の時、アルバートは病に倒れ、そのまま亡くなります。ヴィクトリアは大きな衝撃を受け、数年間はほとんど公共の場に姿を見せず閉じこもっていたといいます。その後も積極的に表舞台に立つようなことは少なくなりました。
とは言え、ある程度悲しみが癒えると、ヴィクトリアは再び政治向きの公務を行うようになります。ヴィクトリアは、アルバートが生きていた頃に身につけたやり方を用い、その後も長く内閣や議会と上手に関わりました。
そんなヴィクトリア時代が終わったのは、アルバートの死後四十年も経ってからのことでした。1901年1月22日、ヴィクトリアは81歳で亡くなりました。
新しい国王
ヴィクトリア女王の在位は約64年間でした。この期間、イギリスは大いに繁栄を謳歌しています。領土は飛躍的に増加しました。産業革命からの上向きの流れはいよいよ頂点に達し、経済規模も大きく膨張しました。文化的にも史上に残る文化人達が次々と出現し、活発に活動しました。
この「ヴィクトリア時代」を丸ごと治めたのがヴィクトリア女王だったのですが、むろん、絶対王政期のような権力をふるう治め方をしたわけではありません。イギリス国王の統治の原則に「君臨すれども統治せず」という言葉がありますが、ヴィクトリアの治世はまさにそれでした。それまでの王は、もう少し深く、また、直接的に政治に関わってきましたが、ヴィクトリアとアルバートはゆるやかに政治に関わりました。それは、近代にふさわしい、新しい王室と政治のあり方でした。ヴィクトリア女王の大きな特徴はまさにそこだったと言っていいでしょう。
繁栄はいつか終わります。事実、イギリスの繁栄はヴィクトリア時代がほとんどピークであり、20世紀はアメリカの時代ということになってゆきます。それでも、ヴィクトリア女王は特別な王として今もイギリス人に愛されているといいます。それは、イギリスの繁栄を作り出した女王であったとともに、新しいイギリス国王のあり方を示した女王であったからなのでしょう。
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