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れきたん歴史人物伝
れきたん歴史人物伝は、歴史上の有名人の誕生日と主な歴史的な出来事を紹介するコーナーです。月に一回程度の割合で更新の予定です。(バックナンバーはこのページの最後にもまとめてあります)


8月号 2011年8月31日更新

【今月の歴史人物】
文豪、政治家、科学者、そして人間
ゲーテ
1749.8.28〜1832.3.22

今月号のイラスト
ゲーテ
◆恋もゲーテの肥やしに。
(C) イラストレーション:結木さくら


8月の主な誕生人物
01日 ラマルク/博物学者
01日 団琢磨/実業家
01日 室生犀星/小説家
01日 メルビル/小説家
02日 三浦梅園/江戸時代の学者
02日 速水御舟/画家
03日 新戸辺稲造/教育者
03日 豊臣秀頼/武将
04日 吉田松陰/幕末の教育者、志士
04日 シェリー/詩人
05日 玄宗/唐王朝第六代皇帝
05日 モーパッサン/小説家
06日 フレミング/細菌学者
06日 テニスン/詩人
07日 リッター/地理学者
07日 司馬遼太郎/小説家
08日 ディラック/物理学者
09日 源実朝/鎌倉幕府三代将軍
09日 ドライデン/詩人
10日 大久保利通/政治家
11日 亀井昭陽/江戸時代の儒者
11日 幣原喜重郎/政治家
12日 シュレーディンガー/物理学者
13日 横井小楠/幕末の儒学者
14日 シートン/動物学者、作家
15日 ナポレオン/軍人、政治家
15日 山東京伝/戯作者
15日 高島秋帆/砲術家、兵学者
16日 山鹿素行/江戸時代の儒者
16日 スタンリー/生化学者
17日 クロケット/政治家、開拓者
18日 最澄/平安時代の僧
19日 ライト(オービル)/発明家
20日 高杉晋作/幕末の志士
21日 ビアズリー/画家
22日 足利義満/室町幕府三代将軍
22日 ドビュッシー/作曲家
23日 三好達治/詩人
24日 平田篤胤/江戸時代の国学者
24日 若山牧水/歌人
25日 榎本武揚/政治家
26日 ウォルポール/政治家
27日 ヘーゲル/哲学者
28日 ゲーテ/詩人、小説家
28日 杉村楚人冠/ジャーナリスト
29日 メーテルリンク/劇作家、詩人
29日 コルベール/政治家
30日 ラザフォード/物理学者
30日 ファントホッフ/化学者
31日 鏑木清方/画家

今回ご紹介するのは、西洋史上屈指の文豪として賞賛されているゲーテです。彼が数多くの優れた作品を残せたのはなぜか。その理由は、どうやらゲーテの人生そのものにありそうです。

法律と文学と恋
ゲーテは1749年の8月29日、ドイツ(当時は神聖ローマ帝国)・フランクフルトに生まれました。1749年といえば日本では江戸時代。有名な8代将軍・徳川吉宗の引退後で、9代・徳川家重の時代です。
ゲーテの父は法律家でしたが、これといった職にはついておらず、学問や読書をしながらゆったりと暮らすような身でした。つまり、ゲーテの家はそれが可能なほど裕福だったということです。なお、母はフランクフルト市長の娘です。そんな環境の中、ゲーテは家庭教師に教育を受け、さまざまな書物に親しみながら育ちました。
16歳になったころ、ゲーテはフランクフルトを離れ、ライプチヒの大学で法律を学びはじめます。ただ、法律一筋に学んでいたわけではなく、詩の創作なども行っていました。ちなみに、この時期のゲーテの詩は、恋が一つの動力になっていました。ゲーテはこの頃、葡萄酒屋の娘、アンナ・カタリーナに恋をしていからです。
これに限らず、ゲーテはこののちの人生、さまざまな女性と関わり、恋をします。恋はゲーテの人生を貫く、大きな大きな要素と言えるでしょう。
ライプチヒでの大学生活は3年ほどで終わります。ゲーテが肺の病にかかってしまったからでした。ゲーテはいったん故郷に帰り、身体が良くなると今度はフランスはストラスブールの大学に通い、やはり法律を学びます。この時期のゲーテにもいくつかの出会いがありました。大きかったのは、ヘルダーという文学者と知り合ったことです。ヘルダーはゲーテに対して文学や建築などについてのさまざまな素養を授けました。ある意味、文豪・ゲーテの基盤がこの時期に育っていったとも言えます。
恋も生まれました。この時期のゲーテの恋の相手は牧師の娘、フリデリーケ・ブリオンです。後に著されるゲーテの代表作『ファウスト』の中には、彼女をモデルとした女性が重要な役割を担って登場します。
さて、このように過ごした学生時代でしたが、ゲーテが22歳の頃には法律家の資格を得て、一応の区切りとなります。その後ゲーテは法務の実習のため、ヴェツラーというところにあった当時の最高裁判所へと行くことになります。
ここまでのゲーテを見ると、法律家の道をしっかり歩みながら文学活動も行っていたように思えます。ところが実際はその逆でした。この頃にはゲーテの関心はほとんど文学の方に向いていたとされます。

ワイマールへ
ヴェツラーでゲーテはまたもや恋をしました。相手はシャルロッテ・ブフという女性。この恋は熱烈だったようで、ゲーテは一時期、自殺を考えるほど悩んだといいます。そして、この恋をもとに生み出された小説が有名な『若きウェルテルの悩み』でした。
この小説、内容はズバリ、恋に悩んだ青年がついに自殺してしまうというものです。まさにゲーテの実体験の小説化といってよいでしょう。この作品は非常に受け入れられ、当時のヨーロッパ中にブームを巻き起こしました。これによってゲーテの文名は大きく高まったのです。ちなみに、『ファウスト』が書き始められたのもこのころです。
さて、『ウェルテル』の出版後まもなく、ゲーテの人生に大きな転換点がやってきます。当時のドイツにワイマール公国という国がありましたが、ゲーテはワイマール公みずからに招かれ、そこへと赴いたのです。
公国でのゲーテはワイマール公に頼られ、政治家として忙しく働くことになります。また、文学的な活動も旺盛に行っています。この時期に作られた作品で日本人にもよく知られているのは、物語詩『魔王』などでしょうか。さらに、科学に興味を持ち、その研究にも手を付けています。
さらに、この時期にも恋が生まれています。相手はシュタイン夫人という年上の女性です。教養深く、洗練された女性だったシュタイン夫人との付き合いを通して、ゲーテは人間的な成長を得ました。
しかし30代の後半を迎えた頃、ゲーテはイタリア旅行へと旅立ちます。多くの政務、そしてシュタイン夫人との親しい関係などに疲れたための静養という意味合いもありました。この旅行を通してゲーテは元気をすっかり回復し、再びワイマール公国に戻りました。
イタリア旅行はゲーテにとってひとつの区切りとなりました。ここからのゲーテは政務からほとんど手を引きます。代わりに力を傾けたのは宮廷劇場の管理者の仕事、そして科学の研究です。もちろん文学的な創作活動も行っています。
詩人で作家だったシラーとの出会いは、この時期のゲーテにとって大きなトピックだったでしょう。彼との交わりの中でゲーテの文学的感性は大いに刺激され、研ぎすまされました。有名な『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』、そして『ファウスト』の第一部は、シラーとの交流がその完成に大きく影響したものとされています。
なお、この時期、ゲーテはクリスティアーネ・ブルピウスという女性と知り合い、妻としました。正式な結婚は随分後になるのですが、息子も生まれています。
ゲーテが56歳のとき、親友・シラーが死にました。この頃からがゲーテの晩年期とされているようです。むろんこの後もゲーテは作品を著し続け、さらにはいくつかの恋までしています。例えば73歳(!)の頃には、50歳以上も年下の少女に思いを寄せたりもしています。
そんなゲーテが死んだのは、1832年3月22日のこと。80歳を超える長命でした。死の直前には、結果的に生涯をかけて書き継ぐことになった『ファウスト』の第二部を完成させています。

「これこそ人間だ」
ゲーテの生涯を見て驚くのは、やはりその多彩さです。何と多くの恋をしたことでしょうか。法律家、詩人、作家、政治家、科学者と多方面に渡って活動したことでしょうか。
ゲーテの後半生は、世界史的にはナポレオン戦争の時代と重なっています。ナポレオンは『ウェルテル』の熱烈な愛読者であり、ゲーテとナポレオンは実際に対面しています。その時ナポレオンが発した言葉は(さまざまに訳されていますが)「これこそ人間だ!」だったと伝えられています。ゲーテの特徴を表すのに、なかなか的確な言葉のように思えます。人間としてきわめて充実した人生を送ったからこそ、素晴らしい作品を著し、世界史上屈指の文豪として名を残した――ゲーテとはそういう人物だったのでしょう。

 


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