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れきたん歴史人物伝
れきたん歴史人物伝は、歴史上の有名人の誕生日と主な歴史的な出来事を紹介するコーナーです。月に一回程度の割合で更新の予定です。(バックナンバーはこのページの最後にもまとめてあります)


9月号 2013年9月30日更新

【今月の歴史人物】
「元禄」に改元される
貞享5・元禄元(1688).9.30


今月号のイラスト大石内蔵助 浪士多いし暗い夜にすっけ
(C) イラストレーション:結木さくら

9月の主な誕生人物
01日アストン/物理学者
01日真山青果/小説家
02日伊藤博文/政治家
03日黒板勝美/歴史学者
04日ブルックナー/作曲家
05日ルイ十四世/フランス国王
06日ド−ルトン/化学者、物理学者
07日エリザベス1世/イギリス女王
07日嵯峨天皇/第52代天皇
08日ドヴォルジャーク/作曲家
09日リシュリュー/政治家
09日副島種臣/政治家
10日中橋徳五郎/政治家、実業家
10日バタイユ/思想家、評論家
11日後白河法皇/弟77代天皇
11日ノイマン/物理学者
12日アスキス/政治家
12日徳田球一/社会運動家
13日シューマン/ピアニスト
13日フンボルト/博物学者
14日太宰春台/江戸時代の儒者
15日朱子/学者
15日石田梅岩/心学者
15日岩倉具視/政治家
16日竹久夢二/画家
17日正岡子規/俳人、歌人
17日リーマン/数学者
18日横山大観/画家
18日土屋文明/歌人
19日アンリ3世/フランス国王
20日シンクレア/小説家
21日菱田春草/画家
22日ファラデー/物理学者
22日吉田茂/政治家
22日幸徳秋水/社会運動家
23日オクタヴィアヌス/ローマ帝国皇帝
24日ワレンシュタイン/軍人
24日フィッツジェラルド/小説家
25日石橋湛山/政治家
25日ケッペン/気候学者
26日ハイデガー/哲学者
26日エリオット/詩人
26日ガーシュイン/作曲家
27日ボシュエ/神学者、説教家
27日マハン/軍人、歴史学者
28日メリメ/小説家
28日クレマンソー/政治家
29日徳川慶喜/江戸幕府15弟将軍
29日ネルソン/軍人
29日フェルミ/物理学者
30日ガイガー/物理学者

江戸時代には特色のある期間がいくつかあり、その中の一つが「元禄時代」です。江戸時代には現代でもよく知られている出来事・人物がたくさんありますが、それらは案外この時代に絡んでいたりするのです。今回はこの「元禄時代」についてご紹介しましょう。

元禄という時代
まずは元禄時代の概略から見ておきましょう。狭義の「元禄時代」とは年号が元禄であった時代のことです。つまり、貞享5(1688)年の9月30日に改元され、元禄17(1704)年の3月13日に宝永と改元されるまでのおよそ16年間です。
この年号元禄の期間は、5代将軍・徳川綱吉の在職期にすっぽりとおさまります。正確に言うと、綱吉の在職は延宝8(1680)年から宝永6(1709)年までのおよそ29年間。この時期は政治や文化に連続性があるため、広義の元禄時代ととらえられることもあります。
元禄時代の期間は以上のようなものですが、具体的にはどのような時代だったかというと、江戸幕府の立ち上げ時期が終わり、いよいよ政治や社会が安定飛行に入った頃にあたります。それに伴い、文化的にもさまざまなものが生まれてきました。それまでの文化といえば公家や武家などの権力者たちが支えたことが多かったのですが、この元禄文化を支えたのは主に上方(京・大坂)の町人たちというのが大きな特色です。それだけに、大変自由で派手な雰囲気をまとった文化でもあります。

芭蕉と西鶴
松尾芭蕉は現代でもよく知られる歴史上の有名人です。芸術性が高く、高尚なイメージのある芭蕉の俳句。しかしこの芭蕉、実は元禄期に活躍した人物です。派手で元気のよいイメージの元禄時代とは、少々ギャップを感じる人もおられるかも知れませんね。
さて、芭蕉といえばかの有名な紀行文「奥の細道」。この旅の出発は元禄2年のことでした。「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」「閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声」…その他、有名な「奥の細道」の句は、元禄時代の情景を詠んだものということになります。
松尾芭蕉と対にして挙げられることの多い文学者、井原西鶴も、もちろん元禄期に活躍した人物です。一昼夜に2万句以上を詠んだと伝えられる句会が開かれたのは貞享元(1684)年のこと。「好色一代女」「日本永代蔵」「世間胸算用」などの代表作の多くは貞享〜元禄時代に著されました。多彩で派手な活躍を見せた西鶴は元禄時代のイメージにぴったりな感じがしますね。

生類憐みの令
元禄時代が綱吉の治世と重なるのは先ほど述べました。綱吉の治世といえば、まず思い浮かぶのが「生類憐みの令」ではないでしょうか。犬をはじめとするさまざまな生き物を過剰に保護し、人々が大変迷惑をこうむった悪法、というイメージが強いものと思われます。もちろんイメージの上だけではなく、ささいな違反から実際に処罰された者もいました。
この生類憐みの令、将軍の自己満足的などうしようもない悪法だった…という捉え方をされがちです。しかし近年、それが再検討されてもきています。もともとは人々の間に残る戦国武断の風を払うための教導的な法令で、それほどの具体性を伴っていなかったが、それがエスカレートしてしまった…という意見や、言われているほど厳しい締め付けではなく、江戸近辺以外ではほとんど問題にならない法令だった…という意見などが提示されています。とはいえ、綱吉の死後に即刻廃止されたという事実がありますから、良法であったとまでは言えないのでしょうが。

忠臣蔵
今も年末になると世間に現れてくる「忠臣蔵」の物語。この物語のもとになった赤穂浪士の討ち入り事件が起こったのは元禄14年のこと。流れとしてはよく知られている通りです。つまり、その年の3月に赤穂藩主・浅野長矩が高家・吉良義央に小刀で斬りつけ、それが原因で切腹させられる、その遺臣たち(赤穂浪士)が12月に吉良家へ討ち入り、義央を討ち取る、といったもの。この事件については幕府も対応に苦心したらしく、忠義の浪士たちとして赦免するか、法に従って処罰するかで揉め、最後は法に従っての処罰ということで決定されました。この後始末の経過などは、やはり戦国〜江戸初期とは、時代の空気が確実に変化していることを感じさせます。
この事件は討ち入りから40年以上経った寛延元(1748)年に人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」として上演され、これが現在まで続く「忠臣蔵」物語のもととなりました。

元禄文化あれこれ
元禄文化、というくらいですから、元禄時代にはさまざまな文化的成果が出現しています。例えば浮世絵の創始者とさえ言われることもある絵師・菱川師宣は元禄時代に活躍しました。代表作の「見返り美人図」は元禄美人を描いた傑作です。近松門左衛門の代表作「曽根崎心中」は元禄16年に人形浄瑠璃として初演されました。また、変わったところでは、日本三名園の一つ「後楽園」は元禄年間の完成です。

文化の花が大きく咲いた元禄時代。しかし、何事にも終わりはあります。狭義の元禄時代が終わったのは、先ほども書いたとおり、元禄17(1704)年のこと。その後間もなく、元禄時代の象徴とも言える将軍・徳川綱吉もこの世を去り、元禄が暮れてゆくのです。

 



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