今月ご紹介するのは18世紀のオーストリア統治者、マリア・テレジアです。日本では娘のマリー・アントワネットのほうがよほど有名ですが、ヨーロッパではむしろ逆で、偉大な女性君主として広く知られている存在です。
ハプスブルクの子
マリア・テレジアが誕生したのは1717年の5月13日。日本でいえば江戸時代、徳川吉宗が8代将軍となった直後であり、あの大岡忠相が町奉行に抜擢されたのがこの年です。
マリア・テレジアはヨーロッパの名家である「ハプスブルク家」の生まれです。父は神聖ローマ皇帝カール6世、母はその妻・皇后エリザベート・クリスティーネです。
当時のヨーロッパの政治事情というのは非常に複雑で、そもそも現代の「国」の感覚では飲み込みづらいものです。王が治めるまとまった「国」がある一方で、力を持った貴族が治める「領地」のようなものが分立しているような場所もありました。ただ、領地といえども、言葉からイメージされるようなちょっとした土地ではなく、きわめて広大な、それこそ「国」レベルの領地であったりしました。そういう大貴族がハプスブルク家であり、このハプスブルク家が治めていた領地群が、当時「オーストリア」と言われる広大な「国」であったのです。マリア・テレジアはそこに誕生したのでした。
めずらしい恋愛結婚
少女時代のマリア・テレジアは両親に愛されて、何不自由なく幸せに育ちました。カトリック教育、フランス語やイタリア語といった幅広い語学教育、楽器や舞踏といった、大貴族の子女にふさわしい豊かな教育を受け、家や国を継承するための専門教育を詰め込まれることもありませんでした。ハプスブルク家というのは男子相続の家であり、伝統的に継承していた神聖ローマ帝国の皇位も男子が相続するものだったからです。
さて、若き日のマリア・テレジアについてよく語られるエピソードは、その結婚です。当時のヨーロッパにおける貴族や王家の子は、自由に結婚することはほとんどありませんでした。しかし彼女の場合は、恋愛結婚が許されたのです。相手はオーストリアに留学中だったロートリンゲン(ロレーヌ)の公子、フランツ・シュテファン。ハプスブルクとは釣り合わない、明らかな小貴族でした。しかしマリア・テレジアの父は二人の結婚を許可し、ふたりは1736年に結婚します。
相続と戦争
やがてマリア・テレジアの父・カール6世が没しました。実はカール6世には男子がなく、このためにマリア・テレジアがその地位や領地を受け継ぐことになります。先述の通り、ハプスブルク家は男子による相続の家でした。そこにマリア・テレジアの相続話ですから、周囲の勢力は黙っていません。これがチャンスとばかりにオーストリアへ圧力をかけ、1740年にはついに戦争となります。これが歴史上で「オーストリア継承戦争」と言われる戦争です。君主としての教育も受けていない、わずか20代前半の娘が突然直面した危機でした。
しかしマリア・テレジアはこの戦争をよく戦いました。当時オーストリアの統治下にあったハンガリーの議会に乗り込み、協力を求める演説をぶったことはよく知られるエピソードです。
結果、この戦争で、オーストリアはシュレジエンという重要な領地を奪われる結果となりました。しかしその一方で、マリア・テレジアによるハプスブルク家継承と、夫フランツ・シュテファンの神聖ローマ皇帝即位は認められたのです。ハプスブルク家とオーストリアが崩壊してもおかしくなかったこの大ピンチをこのように収めた訳ですから、マリア・テレジアにとっては勝ちに等しい結果だったかもしれません。これにより、マリア・テレジアは、当時のヨーロッパを治めていた権力者たちの脳裏に、実に侮れない統治者として刻み込まれたのです。
家庭も盛り立てる
その後、マリア・テレジアはハプスブルク家の長として、また実質的な「女帝」として、権力をふるいました。一度失ったシュレジエンを奪回するために再びの戦争を戦い(結局シュレジエンは取り戻せませんでしたが)、国内向けには軍事改革や教育改革、農政改革に取り組みました。
その一方で、自らの家庭もよく盛り立てました。夫フランツ・シュテファンとの間に儲けた子供はなんと16人!その中には冒頭で触れたマリー・アントワネットがおり、また、マリア・テレジアの後継者となるヨーゼフ2世が含まれています。
夫婦仲もまずまず。夫の方は小貴族から婿入りした辛さを味わうこともあったようですが、それでも決定的な冷淡に陥ることはなかったようです。夫の死後、マリア・テレジアは生涯を喪服で過ごしたといいますから、少なくともマリア・テレジアの方は夫を深く愛していたのでしょう。
マリア・テレジアが亡くなったのは1780年11月29日のこと。久々に家族が集まって狩りに出かけた際に風邪を引き、それがもとであっけなく亡くなりました。63歳でした。およそ40年もの間、オーストリアに君臨した彼女は、夫フランツ・シュテファンと同じ墓に眠っています。
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