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れきたん歴史人物伝
れきたん歴史人物伝は、歴史上の有名人の誕生日と主な歴史的な出来事を紹介するコーナーです。月に一回程度の割合で更新の予定です。(バックナンバーはこのページの最後にもまとめてあります)


8月号 2014年8月31日更新

【今月の歴史人物】
将軍につながるホットライン
江戸に目安箱が設置される
享保6(1721).8.2


今月号のイラスト 徳川吉宗よし、旨を聞こうか目安箱。
(C) イラストレーション:結木さくら



8月の主な誕生人物
01日 ラマルク/博物学者
01日 団琢磨/実業家
01日 室生犀星/小説家
01日 メルビル/小説家
02日 三浦梅園/江戸時代の学者
02日 速水御舟/画家
03日 新戸辺稲造/教育者
03日 豊臣秀頼/武将
04日 吉田松陰/幕末の教育者、志士
04日 シェリー/詩人
05日 玄宗/唐王朝第六代皇帝
05日 モーパッサン/小説家
06日 フレミング/細菌学者
06日 テニスン/詩人
07日 リッター/地理学者
07日 司馬遼太郎/小説家
08日 ディラック/物理学者
09日 源実朝/鎌倉幕府三代将軍
09日 ドライデン/詩人
10日 大久保利通/政治家
11日 亀井昭陽/江戸時代の儒者
11日 幣原喜重郎/政治家
12日 シュレーディンガー/物理学者
13日 横井小楠/幕末の儒学者
14日 シートン/動物学者、作家
15日 ナポレオン/軍人、政治家
15日 山東京伝/戯作者
15日 高島秋帆/砲術家、兵学者
16日 山鹿素行/江戸時代の儒者
16日 スタンリー/生化学者
17日 クロケット/政治家、開拓者
18日 最澄/平安時代の僧
19日 ライト(オービル)/発明家
20日 高杉晋作/幕末の志士
21日 ビアズリー/画家
22日 足利義満/室町幕府三代将軍
22日 ドビュッシー/作曲家
23日 三好達治/詩人
24日 平田篤胤/江戸時代の国学者
24日 若山牧水/歌人
25日 榎本武揚/政治家
26日 ウォルポール/政治家
27日 ヘーゲル/哲学者
28日 ゲーテ/詩人、小説家
28日 杉村楚人冠/ジャーナリスト
29日 メーテルリンク/劇作家、詩人
29日 コルベール/政治家
30日 ラザフォード/物理学者
30日 ファントホッフ/化学者
31日 鏑木清方/画家

徳川吉宗の「享保の改革」。江戸時代の三大改革(享保、寛政、天保の改革)の一つで、将軍が強力に推し進めたものでした。その中の政策の一つに「目安箱の設置」があったことはご存知かと思います。今回はこの「目安箱」にスポットをあててみましょう。

目安箱誕生
目安箱とは、江戸時代・享保の改革の時に設置された箱で、庶民からの投書を受け入れていました。現代でも、投書等によって何か意見を募る際は「○○目安箱」などという名前が用いられたりするなど、ひじょうに有名な言葉です。
実際の目安箱は、享保6(1721)年7月に設置を知らせるおふれが出て、翌月2日から設置されたものです。設置のいきさつについては諸説あります。当時の吉宗の知恵袋だった儒学者・室鳩巣の発案だとも、吉宗が紀伊藩主時代に設置した同様の箱を下敷きにしたものとも言われます。また、目安箱は吉宗のオリジナルというわけでもないようで、これ以前にも、京や長崎で投書箱が置かれた例があるようです。

目安箱あれこれ
ここで、当時の目安箱とはどういうものだったのか、その特徴をいくつか挙げてみましょう。
設置と確認
目安箱は設置の日と場所が決まっていました。設置日は毎月2日・11日・21日の三日間。設置場所は江戸・辰ノ口(現在の東京都千代田区丸の内)の評定所(高度な訴訟を扱った機関)前でした。
目安箱は設置を終えると、鍵をかけたまま将軍・吉宗のもとへ運ばれます。そして吉宗の目前で鍵を開け、将軍自ら投書をチェックしたと伝えられています。自分の意見が誰にも遮られることなく、将軍に直接伝わるしくみ。それが目安箱でした。

投書の決まり
投書できる内容には決まりがありました。その柱は二つ。まずは政治に対する意見や提案。そしてもう一つは役人の不当な行為への苦情でした。目安箱というと、何か民主的な装置というイメージも湧くのですが、そういうわけではなく、内政の参考になる声を集め、役人らへの監視を強め、幕政に役立てるという目的のもとに設置されたものです。
投書できる資格というのもありました。と、いっても町人や農民であれば投書は可能でした。そして、御家人などの武士は投書禁止でした。単に禁止されていただけではなく、投書したら処罰されることになっており、実際に処罰を受けた者もいます。
なお、投書は原則として記名制でした。

代表的な投書
・養生所設置提案
目安箱の成果で最も有名なのがこれではないでしょうか。江戸の町医師・小川笙船(しょうせん)が享保7年に出した提案で、非常に貧しい者や身寄りのない者のために施薬院を設けてほしいというものでした。
この提案はすぐに採用されたようで、江戸の小石川薬園内に養生所が設けられることになりました。施設は病人長屋、薬部屋や役人詰所等からなり、看病する者のない極貧の病人が収容され、治療費は無料。この養生所は江戸時代の末まで存続しました。
・荒れ地開墾提案
ある浪人二名からの投書で、上総国・下総国(現在の千葉県とその近辺)に開墾可能な広大な荒れ地がある、という内容がありました。吉宗の命で調査したところ、実際に東金あたりにそのような土地が五万石ほどあり、開墾も実施されたのです。
・江戸防火提案
これも浪人からの投書で、江戸の街づくりに関する提案。防火のためには空き地を多く設け、屋根を瓦葺にするのがよい、という内容でした。折りしも将軍らが江戸の防火に力を入れており、この提案が政策の参考にされたと言われます。
・役人の不正訴え
役人の不当な行為に対する訴えも多くありました。ここで細かくは挙げませんが、年貢の取り立て過ぎをはじめ、書類に関する不正等も訴えられ、実際に罰金や追放が課された例もかなりあったのです。

以上、「目安箱」のあれこれをご紹介しました。目安箱といえば、あらゆる人々が好きなことを書いて自由に投書をしたようなイメージがありますが、そうでもありませんでした。しかし、将軍へのホットラインともいえるこの箱のおかげで、政治の風通しがよくなった面は確かにあったようです。

 



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