今月ご紹介するのは、スウェーデンの実業家で発明家のノーベル。そう、あの「ノーベル賞」をつくった人物です。
爆薬研究と巨万の富
ノーベルはスウェーデンのストックホルムで、1833年10月21日に生まれました。日本では江戸時代後期、天保のころ。「大塩平八郎の乱」の直前です。
ノーベルの父はイマヌエルといい、やはり発明家でした。事業を興し、失敗も経験しますが、ついにロシアにおいて成功を収めます。このころ、ノーベルには家庭教師がつき、語学などの教育を受けます。このおかげで、ノーベルは多言語をよく操ることができるようになりました。またこのころ、ノーベルはアメリカに留学して、化学の勉強もしています。
父の事業は好調で、当時起こっていたクリミア戦争という大戦争の波にも乗り、大変な利益を得ました。しかしそれも所詮戦争景気。やがて破産してしまい、ノーベルを連れてスウェーデンに帰国しました。この前後の時期からノーベルはニトログリセリンの研究に力を注ぎます。
ニトログリセリンというのは爆薬の一種です。大変不安定なのが特徴で、ちょっとした衝撃で大爆発を起こしてしまうものでした。これを実用化するというのがノーベルの研究でした。30歳のころには実際に起爆装置を開発するものの、爆発事故なども起こしており、それによって弟を亡くすという悲劇も経験しています。
しかしノーベルはとうとうニトログリセリンの安定化に成功します。それはニトログリセリンに珪藻土という物質を組み合わせる方法。これによって非常に安定した形でニトログリセリンを扱うことができるようになりました。さらにノーベルは、雷管という点火用の仕組みも発明し、これを「ダイナマイト」と名づけて実用化しました。こうして誕生したダイナマイトは、工事や鉱山などで活用され世界中に広まりました。同時にノーベルは巨万の富を得ることになったのです。
遺言状
ノーベルはひじょうに孤独な性格だったと伝えられます。生涯を独身で通し、また、病気がちでもありました。また、その立場上、彼の特許や財産を掠めようとする人々との訴訟も度々ありました。そんな彼に衝撃を与えたと言われるひとつのエピソードがあります。
かれが50代後半のころ、兄が亡くなりました。しかしこれを新聞社がノーベル自身の死と誤報しました。そして、その見出しは「死の商人が死去」でした。このためにノーベルは自分がどのように世間から捉えられているかを知り、また、自分の死後の評判を気にするようになったといいます。
そして62歳の年、ノーベルはある遺言状を記します。それは、財産の一部を親戚や知り合いに譲り、残りの全てを科学や文学、平和の発展に寄与するために寄付する、という内容でした。これが現在のノーベル賞のもととなったのです。
そしてこの遺言状を書いた翌年、ノーベルは病に倒れ、急逝します。63歳でした。
ノーベル賞の概略
さて、最後にノーベル賞について少しだけ触れておきましょう。
●種類
ノーベル賞は「物理学」「化学」「医学・生理学」「文学」「平和」「経済学」の6つの分野からなります。この中でやや毛色が違うのが、「平和」のノーベル平和賞と「経済学」のノーベル経済学賞。
●平和賞と経済学賞
ノーベル平和賞に関して言うと、これ以外の5部門は全てスウェーデンの機関が選考するのですが、これのみはノルウェーの国会に設置された委員会が選考します。なぜこうなっているのかは諸説ありますが、賞創設時の政治状況のためという説があります。つまり、当時のスウェーデンとノルウェーの友好を願って、とか、当時のノルウェーには外交権がなかったので公平な選考が可能と考えられた、といった理由です。
ノーベル経済学賞については、ほかの賞とかなり違っています。というのも、ノーベル賞の第一回授与式はノーベルの死から6年が経った1901年のことですが、経済学賞のみは1968年に創設、その翌年に授与式が行われているのです。なぜここまで時期が違うのかというと、この賞はスウェーデンの国立銀行が設立300周年を記念して設置された賞だからです。賞金も、ノーベル財団ではなくスウェーデン国立銀行から出ています。ゆえに、厳密には「ノーベル賞」とは異なる賞とも言えます。しかし選考機関や選考に関する規定はノーベル賞と重なる部分が多く、授与式等も他の賞と同日に行われることから、一般には「ノーベル経済学賞」として捉えられているのです。
●選考
ノーベル賞の選考は完全に秘密で行われます。世界各国の優秀な専門家に、候補者を推薦してもらい、それをもとに選考されます。その後最終決定が行われるのです。この選考過程が公開されるのは、なんと受賞の50年も後のことと決められています。
受賞するための目立った資格はほとんどありませんが、有名なのは「存命中の人物であること」でしょうか。正確にいうと、受賞が決定した時点で存命であること、です。ちなみに、近年、受賞決定の発表が行われた後に、実はその人物が死去していたのが分かったということがありましたが、この時は「受賞決定後にその人物が死去しても受賞は有効である」という決まりが準用され、受賞することになっています。
選考や受賞、賞金、晩餐会と、その時期には日本でも話題になるノーベル賞。ともかく、世界最高峰の権威ある賞であることは間違いありません。さて、「死の商人」と表現もされたノーベルは、今のこの状況をどう見ているでしょうか。
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