ドイツ出身の音楽家、ベートーベンといえば日本人でも知らない人はいないといってもいいほどの有名人物でしょう。今月はこのベートーベンの生涯をご紹介いたします。
若き日々・ウィーンへ
ベートーベンが生まれたのは1770年12月のこと。生誕地はドイツのボンです。日本でいうと江戸時代の中期、かの田沼意次が正式に老中になる直前の時期です。
なお、ベートーベンは、現代で言ういわゆる「誕生日」は分かっておらず、12月17日に洗礼を受けたことが伝わっています。
ベートーベンの祖父も父も宮廷歌手でした。つまりは音楽を生業とする家に生まれたわけですが、この父が酒びたりで横暴と、どうもあまりよくない人物だったようです。ベートーベンの家は祖父の援助に頼って暮らしていましたが、この祖父が死去すると、父は幼いベートーベンにほとんど虐待のように音楽を教え込み、あのモーツァルトと同じような「神童」として売り出し、稼がせようとしたそうですから呆れたものでした。
ともかく、こうして音楽を身につけたベートーベンは、神童とはいかなかったものの、幼くして演奏会を開くまでに腕を上げました。16歳の年にはウィーンに渡り、あこがれていたモーツァルトと対面。このときモーツァルトはベートーベンの才能に感心したと伝わります。ベートーベンはモーツァルトに弟子入りを希望していたとも言われますが、折り悪く母が病に倒れ、ボンへと戻らねばならなくなりました。しかも、母は間もなく亡くなり、まだ若いベートーベンは家族の面倒を見る立場に立たされたのです。
ベートーベンは宮廷音楽家として忙しく働き、さらに音楽の修練もこなしました。そんな彼が、たまたまボンを訪れていたハイドンの目に留まりました。ハイドンも、現代までよく知られている有名な音楽家です。ベートーベンはハイドンに師事し、ふたたびボンからウィーンへと渡ります。ベートーベン、22歳の年のことです。その後、ベートーベンがボンに帰ることはもう生涯ありませんでした。
難聴
ウィーンでのベートーベンの音楽活動は、当初まずまず順調だったといってよいでしょう。ベートーベンは即興演奏が大変に得意で、それによって高い評判を得ていました。やがてはハイドンからも独立し、ピアニスト、作曲家としてひとりだちしてゆきます。
しかし、そんなベートーベンを不幸が襲います。ご存知のかたも多いでしょう、その不幸とは「難聴」でした。音楽家、ことに演奏家にとって難聴は、そのキャリアを終わらせてしまうかもしれない重大なできごと。ベートーベンも遺書をしたためるほど悩みます。
しかしベートーベンはこの苦難を乗り越え、素晴らしい曲を数多く創作してゆきます。「ダダダダーン」というはじまりで誰もが知る「運命(交響曲第5番)」や「田園(交響曲第6番)」などはその頃の作品です。
ベートーベンの逸話群
ここで、ベートーベンに関するいくつかのエピソードをご紹介しましょう。
・恋多き人
ベートーベンといえば、学校の音楽室に飾られていることの多い、あの険しい顔をした肖像画を思い浮かべるかたも多いでしょう。しかしながら、若い頃のベートーベンはなかなか見た目がよく、おしゃれで、さまざまな女性と交際したという話が伝わっています。しかし、年を取るごとに服装や髪型に無頓着になっていったとも伝わります。
・難聴
難聴の原因には諸説あります。耳の中にある骨が硬くなり、耳が聞こえなくなってしまった、という説が有力ですが、鉛中毒が原因だったという説もあります。なぜ鉛中毒になったのかということも諸説あるのですが、当時、甘味料として使われていた鉛のせいとも言われます。残されていたベートーベンの髪から、実際に高濃度の鉛が検出されたのは事実です。また、ベートーベンは持病が多く、神経性の腹痛を患っていたほか、さまざまな臓器に不調を抱えていたようです。
・年末の「第九」
ベートーベンの作品の中で、「運命」と並んで有名なのが、交響曲第9番、通称「第九」です。年末に演奏会がたくさん催されますが、このような現象は他の国ではあまりないようです。「第九」が年末に演奏されるようになった理由にはさまざまな説があるものの、どうやら「第九」は聴衆の受けがよく、何かとお金が必要になる年末年始の準備として、戦後間もない時期にある楽団が演奏会を催したことがルーツ、というのが有力だそうです。とはいえ、曲の雰囲気も年末という時期によくマッチしていて、風物詩になるのもなんとなく理解できますね。
その死
ベートーベンは40代に差し掛かったことろには完全に耳が聞こえなくなりました。しかし作曲活動は続け、かの「第九(交響曲第9番)」は53歳のときに完成させたものです。初演が終わったとき、ベートーベンは聴衆の大喝采にまるで気付かず、促されて振り返ってみて初めてその様子が分かった...というのはよく知られたエピソードでしょうか。
それから数年しか経たない1827年の3月26日、ベートーベンは肝硬変により亡くなりました。葬儀には2万人もの人々が参列したといいます。
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