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れきたん歴史人物伝
れきたん歴史人物伝は、歴史上の有名人の誕生日と主な歴史的な出来事を紹介するコーナーです。月に一回程度の割合で更新の予定です。(バックナンバーはこのページの最後にもまとめてあります)


4月号 2016年4月30日更新

【今月の歴史人物】
19世紀を代表する詩人
ボードレール
1821.4.9〜1867.8.31


今月号のイラストボードレール ◆エリートのボードレールをそれてこそ
(C) イラストレーション:結木さくら




4月の主な誕生人物
01日 親鸞/鎌倉時代の僧
01日 ビスマルク/政治家
01日 浜口雄幸/政治家
02日 アンデルセン/童話作家
02日 ゾラ/小説家
03日 アーヴィング/小説家
03日 長塚節/歌人、小説家
04日 山本五十六/軍人
05日 ホッブス/哲学者、政治学者
05日 内田魯庵/評論家、小説家
05日 カラヤン/指揮者
06日 ラファエロ/画家
06日 ミル/歴史家
06日 モロー/画家
07日 法然/平安、鎌倉時代の僧
07日 ザビエル/宣教師
07日 ワーズワース/詩人
07日 鈴木梅太郎/化学者
07日 小川未明/童話作家
08日 フッサール/哲学者
08日 岸田吟香/ジャーナリスト
09日 ボードレール/詩人
10日 ペリー/軍人
10日 グロチウス/法学者、政治家
10日 香川景樹/歌人
10日 ピュリッツアー/ジャーナリスト
10日 レーニン/革命家、政治家
11日 広瀬淡窓/江戸時代の儒者
11日 パーキンソン/医師
11日 小林秀雄/評論家
12日 マイヤーホーフ/生理学者
13日 トレビシック/発明家
14日 ホイヘンス/物理学者、天文学者
14日 トインビー/歴史家
15日 レオナルド・ダ・ビンチ/画家、彫刻家、科学者
15日 内藤鳴雪/俳人
16日 チャップリン/映画俳優、監督
16日 虎関師錬/僧
16日 ライト(ウィルバー)/発明家
16日 フランス/小説家
17日 板垣退助/政治家
17日 モルガン/実業家
18日 ズッペ/作曲家
19日 フェヒナー/心理学者
20日 犬養毅/政治家
20日 ナポレオン3世/仏皇帝
20日 ヒトラー/独裁者
20日 ミロ/画家
21日 ブロンテ(シャーロット)/小説家
21日 ウェーバー/社会学者
22日 カント/哲学者
22日 オッペンハイマー/物理学者
23日 プランク/物理学者
23日 ターナー/画家
24日 カートライト/発明家
25日 川路聖謨/江戸時代の武士
26日 シェークスピア/劇作家
26日 ドラクロワ/画家
27日 モールス/発明家
27日 スペンサー/哲学者
28日 伊藤東涯/江戸時代の儒者
28日 山田検校/筝曲家
29日 ポアンカレ/数学者
29日 田口卯吉/経済学者
30日 ガウス/数学者

今月ご紹介するのは詩人・ボードレール。19世紀の欧米における最高の詩人という評価もあるほどの大詩人です。

優等生から放蕩者へ
ボードレールが誕生したのは1821年4月9日。生地はフランス革命から30年と少しを経たパリです。父は聖職者でしたが、ボードレールの生まれた時点ですでに60代の半ばという高齢で、かれが6歳の年に亡くなっています。その後、まだ若かった母は陸軍の軍人と再婚しますが、このことは幼い彼の心に大きな影響を残したと言われます。

少年時代のボードレールは優秀でした。レベルの高い高校に通い、成績もよく、エリート街道を進んでいると言っていいほどでした。そして大学にも合格し、法律学科に進むのですが、どうやらここで道を踏み外したようで、自由気ままに遊びほうけるようになってしまいます。

家族たちはこれを心配し、ボードレールが20歳の年、フランスと土地の友人から離れさせるため、ほとんど強制的に長い航海旅行に出されます。それはヨーロッパからインドにいたる、文字通りの大旅行ではあったのですが、アフリカ大陸南端の喜望峰を回ってモーリシャスに着いたころ、ボードレールはこの旅から逃げ出し、帰国の船に飛び乗ってフランスへと舞い戻っています。しかし、中断したとはいえ、この旅はボードレールの後の詩作を支える貴重な体験となったようです。そもそも、この旅の途中に詩を作ってもいます。

文筆の道へ
パリに戻ったボードレールは、成人になっていたため、相続した実父の遺産を自由に使う権利を得ます。当然と言っていいのかどうか、ともかくかれはそれを使って、放蕩します。この時期、無名の女優と恋愛関係になり、多くの詩を創作しています。

ボードレールの放蕩はかなり酷かったらしく、およそ2年ほどのあいだに、相続した遺産を半分ほども浪費したといいます。家族は当然これを問題視し、ボードレールから財産を取り上げました。それは法的なやり方で、つまり、残った財産を弁護士の手に託し、毎月定額をボードレールに渡すような形に変えたのです。以後、ボードレールは放蕩どころか、貧乏と言っていいほどの経済状態におちいります。

さて、この頃からボードレールは文筆の道で活動を始めます。しかし当初は詩人としてではなく、美術批評家、文芸批評家としてです。批評家としてのボードレールはなかなかのもので、サロン(フランスの官展)の批評で名を上げました。文芸の分野では、エドガー・アラン・ポーの翻訳や評論に力を入れています。このポーには、ボードレール自身も大変大きな影響を受けています。

そうした中、詩作もおこなっており、やがてそれらを発表もします。

『悪の華』の失敗
ボードレールがはじめて詩を発表したのは34歳の年のことでした。『悪の華』と銘打ち、18の詩篇が雑誌に一挙掲載されたのです。さらにその2年後には最初にして生前最後の詩集『悪の華』を出版します。

しかし『悪の華』の結果は散々でした。耽美で、官能的で、退廃的なその内容は、当時の世の中には受け入れられないものだったのです。詩集を高く評価する者もいましたが、概ね評価は低く、しかも詩集のうちの6篇は風俗を乱すとして、裁判の末、罰金かつ詩集からの削除を命じられました。その後、問題の詩を削除したうえ、新たに35篇の詩を加えた第二版も出版されましたが、やはりうまくいかず、その後、詩集の出版社は倒産しています。

それからのボードレールの人生は暗いものでした。詩を発表し、評論も続けていますが、生活は貧窮の度を増していきます。フランスのアカデミー会員になろうとしますが失敗し、体調も崩し(若い頃に感染した梅毒の影響と言われています)、一発逆転を狙って出発したベルギーへの講演旅行も失敗しました。そして45歳の年、ボードレールの病状はついにどうしようもなく悪化し、ベルギーからパリの病院へと移って、そのまま死去します。1867年8月31日のことです。

死後
かれの葬儀は寂しいものだったと伝わります。詩人としてのかれの業績はほとんど評価されておらず、死後にようやく未刊行の詩をまとめた詩集が発表されただけでした。しかしその後、かれの詩に対する評価は徐々に上がっていき、やがて象徴主義詩の創始者、近代詩の父とまで言われるようになり、欧米世界における19世紀最大の詩人のひとりとしての評価が定着するのです。

『悪の華』において削除された6篇の詩。その処分が公に解かれたのは70年以上後の1949年のことでした。

 



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