膨大な種類が知られる「生物」の世界。その分類法を確立したと言われる人物がリンネです。今月は分類学者・リンネをご紹介しましょう。
リンネが生まれたのは1707年5月23日のこと。日本でいうと江戸時代の前期で、「生類憐みの令」で知られる五代将軍・徳川綱吉の治世の最末期にあたります。スウェーデン南部のスモーランドという地方で、牧師の子として生をうけています。
リンネは小さな頃から植物好きだったと伝わります。成長してもその傾向はまったくおさまらず、他のどんな学問よりも植物への興味がまさりました。リンネの両親はかれに牧師になって欲しかったのですが、結局大学では医学を学び、さらにその過程において出会ったセルシウスと言う植物学者に植物学を学びました。23歳の年には植物学の講師となっています。
リンネはすでにこの若い時代からすでに将来の大業績につながる仕事をスタートさせています。例えば、植物のおしべ・めしべと分類に関する研究は一定の評価を受けました。さらに、25歳の年には、スカンジナビア半島の北部に広がるラップランドへと探検に出かけ、のちにその成果を論文にまとめています。
28歳の年、リンネはスウェーデンを出てオランダへ渡ります。オランダにおいて学位を取得すると、研究活動をおこないつつ、ヨーロッパの各地を回ってさまざまな学者や名士と交わりました。このオランダ時代、リンネはさまざまな論文や書物を著しました。先に触れた『ラップランド植物誌』もこの時期のものです。ほかにも数多くの重要な論文が出版され、リンネの学者としての地位はしっかりと固まったのです。
やがてリンネは自分の出身大学でもあるスウェーデンのウプサラ大学の教授となりました。34歳の年のことですから、ほんとうに若い時期から大きな実績を積み重ねてきていたことが分かります。リンネは教育者としても有能で、多くの学生を育てました。
このような道のりを経て、リンネが46歳の年に出版されたのが『植物の種』という書物です。これはひじょうに重要な書物で、現在でも、植物の学名はこのリンネの著書が起点であると国際的に定められているのです。
リンネは「分類学の父」と言われるほど、分類学に大きな業績を残した学者です。かれの業績で大きなものといえば、学名の付け方の規則を広めたことです。それまで学名は、ある学名に対して新たに知られたものを付け足したりすることが多く、段々と長く複雑になってゆくものでした。それをリンネは「二名法」と呼ばれる能率的で分かりやすい方法で行おうと考えました。二名法は現在でも学界で用いられる命名法です。
もう一つ大きな業績が、まさに分類に関することです。リンネはそれまでに知られていた動植物についての知識から、その特徴に基づく階層的な分類を行おうとしました。これらは、時代的には進化論が登場する前であり、現代にそのまま持ってくることはできない分類ではありましたが、考え方としては現代の分類学へとつながるものでした。
54歳の年、リンネはそれまでの業績が高く評価され、ついに貴族に列せられました。70歳を前に引退し、1778年1月10日、71歳の年に亡くなりました。
分類という分野で現在にまでつながる業績を残したリンネ。その名は自然科学の分野に深く刻まれています。学者としてまことに恵まれた生涯だったと言えるでしょう。
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