今月ご紹介するのは、スペインの建築家、ガウディです。独特の建築を多数残し、その作品群は世界遺産にも登録されています。日本人にもよく知られる人物ですが、どのような人物だったかということまで知っている人は案外少ないのではないでしょうか。
ガウディが生まれたのはスペイン・カタルーニャ地方。父は銅細工の職人でした。
彼の生まれた1852年は、日本でいえば江戸時代末期。この翌年には、浦賀に黒船が来航します。ヨーロッパではいわゆるヴィクトリア時代を迎えたイギリスの絶頂期でした。
さて、幼少期のガウディは病弱だったようです。しかしながら、建築への興味はこのころから芽生えていたとも言われ、紙製の建築模型を作っていたというエピソードも伝わります。
ガウディは10代の後半には建築を学ぶためにバルセロナへと出、25歳のころには建築学校を卒業しています。修行時代にも、それほど対策ではなかったものの、いくつもの建築に携わり、建築家として活動していました。
建築家としてキャリアを重ねるうち、ガウディがで出会ったのが、グエル伯爵という人物です。グエル伯爵はバルセロナの実業家で、繊維会社などを興したほか、さまざまな会社の経営にかかわり、さらには国会議員にもなった当時の名士でした。彼がガウディの建築を見込み、長きに渡ってガウディの強力な支援者(パトロン)となったのです。
グエイの依頼によって実現したガウディの建築は数多く、例えば世界遺産に登録されている「グエル公園」というのがあります。当時、急速な工業化、都市化のすすむバルセロナにあって、ガウディとグエル伯爵は、自然と建築の調和した全く新しい住宅地を立ち上げようとしたのです。この住宅地には実にガウディらしい、曲線的で独特な建築が実現されましたが、当時の社会では理解されない試みであり、やがてはバルセロナ市に公園として寄付される運命をたどったのです。
同じくガウディとグエイ伯爵による「カサ・ミラ」も有名な建築物です。ガウディが54歳の年に建築が始まった集合住宅で、ガウディ様式の頂点を示す建築物の一つとされます。曲線で構成されたその外観は圧倒的な存在感を持ち、何か自然の岩でも切り出したような造形です。この芸術性は建築当時には全く理解されず、当時の市民は「石切り場」などと呼んで揶揄したといいます。ちなみにこのカサ・ミラはその一部が今も住宅として実際に使用されています。
ガウディの作品で最も有名なものといえば「サグラダ・ファミリア」でしょう。この聖堂は「贖罪教会」として計画され、その建築費は寄付(喜捨)によって支払われるというものでした。最初はビリヤールという建築家が建築を担当しましたが、ガウディが31歳の年にそのあとを引き継ぎました。設計もそのときに大幅に変更されています。サグラダ・ファミリアの特徴といえば、外観もさることながら、その規模でしょう。ガウディもライフワークとして取り組みましたが、その生前に出来上がったのは生誕のファサードと呼ばれる外壁と塔など、構想されていたと思われるもののごく一部。建築開始後、130年以上も経った現在でも未完成の巨大建築物なのです。かつては完成するのは22世紀である、とされていましたが、最近の目覚ましい技術の進歩によって工期が劇的に短縮され、ガウディ没後100年にあたる2026年の完成が予定されています。
晩年、最大の後援者、理解者だったグエイ伯爵が亡くなり、心血を注いで取り組んでいたサグラダ・ファミリアの建築は建築費の問題から進まず、ガウディは次第に厭世的になっていました。そんな中、ガウディは交通事故に遭います。1926年の6月7日、路面電車に衝突し、その数日後に亡くなりました。74年の生涯でした。
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