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れきたん歴史人物伝
れきたん歴史人物伝は、歴史上の有名人の誕生日と主な歴史的な出来事を紹介するコーナーです。月に一回程度の割合で更新の予定です。(バックナンバーはこのページの最後にもまとめてあります)


9月号 2009年9月30日更新

【今月の歴史人物】
ややこしい時代を大ざっぱに見る
幕末・維新の時代 前編
嘉永6(1853)〜元治元(1864)

今月号のイラスト
大久保利通
◆多くぼ志士を生んだ幕末・維新。
(C) イラストレーション:結木さくら


9月の主な誕生人物
01日アストン/物理学者
01日真山青果/小説家
02日伊藤博文/政治家
03日黒板勝美/歴史学者
04日ブルックナー/作曲家
05日ルイ十四世/フランス国王
06日ド−ルトン/化学者、物理学者
07日エリザベス1世/イギリス女王
07日嵯峨天皇/第52代天皇
08日ドヴォルジャーク/作曲家
09日リシュリュー/政治家
09日副島種臣/政治家
10日中橋徳五郎/政治家、実業家
10日バタイユ/思想家、評論家
11日後白河法皇/弟77代天皇
11日ノイマン/物理学者
12日アスキス/政治家
12日徳田球一/社会運動家
13日シューマン/ピアニスト
13日フンボルト/博物学者
14日太宰春台/江戸時代の儒者
15日朱子/学者
15日石田梅岩/心学者
15日岩倉具視/政治家
16日竹久夢二/画家
17日正岡子規/俳人、歌人
17日リーマン/数学者
18日横山大観/画家
18日土屋文明/歌人
19日アンリ3世/フランス国王
20日シンクレア/小説家
21日菱田春草/画家
22日ファラデー/物理学者
22日吉田茂/政治家
22日幸徳秋水/社会運動家
23日オクタヴィアヌス/ローマ帝国皇帝
24日ワレンシュタイン/軍人
24日フィッツジェラルド/小説家
25日石橋湛山/政治家
25日ケッペン/気候学者
26日ハイデガー/哲学者
26日エリオット/詩人
26日ガーシュイン/作曲家
27日ボシュエ/神学者、説教家
27日マハン/軍人、歴史学者
28日メリメ/小説家
28日クレマンソー/政治家
29日徳川慶喜/江戸幕府15弟将軍
29日ネルソン/軍人
29日フェルミ/物理学者
30日ガイガー/物理学者

今月発売になった2010年版の「歴誕」では、幕末・維新の時代の人物たちを何人か追加しています。それにちなんで、今月と来月の二か月にわたり、幕末・維新の歴史の大まかな流れをご紹介いたします。
なお、この時期のさまざまな思想や出来事は、その内容や意義、分類などに諸説あります。以下ではできるだけ一般的と思われる説に沿ってご紹介してまいります。

全ては黒船から始まった
嘉永6(1853)年6月。日本を揺るがす出来事がありました。アメリカ東インド艦隊司令長官のペリーが艦隊を率いて、日本に開国を迫った「黒船来航」です。
はじめは渋っていたものの、結局、ペリーの要求を江戸幕府は受け入れました。開国することを決め、日米和親条約を締結したのです。開府以来の国法・鎖国制度が破れたことは、当時の知識人や武士たちに衝撃を与えました。ここから、日本はどう歩むべきか、日本の国は誰がどう治めるべきかを巡り、混乱の時代に突入します。これが「幕末」というわけです。
さて、当初、勢いの強かった意見は「攘夷」でした。これまで通りの鎖国を維持せよとか、開国して軍備を整えてからとか、方法はさまざまであっても、ともかく「外国人排撃すべし」と考える思想です。
また、当時の朝廷も、当時の孝明天皇が攘夷を希望していたこともあり、おおむねこの攘夷思想でまとまっていました。そのため、攘夷思想は、天皇の権威を尊ぶ「尊王」の姿勢と結びつきやすく、それはやがて「尊王攘夷」思想として幕末の日本に広まってゆくこととなります。

幕府政治の頓挫
日米和親条約から数年経つと、次は開国からもう一歩進んだ「通商条約」を結ばねばならない情勢になってきました。しかし、世論は相変わらず攘夷が優勢です。そこで幕府は朝廷の「お墨付き」、すなわち条約調印の勅許を得て自らの正統性をアピールすることにしました。しかしこれが幕府の誤算でした。前述のように天皇自身が譲位を希望していたこともあって、朝廷は条約調印の勅許を出そうとしなかったのです。このダメージは幕府にとって大きく、条約の調印は不当なものであるという印象を世論に与えることになってしまいました。幕府への明確な影響力を持つ存在として朝廷がクローズアップされてくるのは、大体この頃からと言えます。
さて、ここで登場するのが、大老・井伊直弼です。この豪腕政治家は、勅許がなかったにも関わらず、ほぼ独断で日米修好通商条約を結んでしまいました。このやり方は、尊王攘夷派の人々を激怒させます。幕府への反感も高まります。そこで井伊は、反幕府勢力の大量処罰を行いました。これが「安政の大獄」です。しかし、やはりこのやり方はあまりにも強引だったのでしょう、井伊はついに江戸城桜田門付近で浪士によって暗殺されてしまいました。これを「桜田門外の変」といいます。安政7(1860)年の、雪の降る日のことでした。
ここに至り、もはや幕府はガタガタになったと言ってもよいでしょう。

薩長の動き
幕府に影響力を持つ存在として朝廷が出てきたことはすでに述べましたが、朝廷には「権威」はあっても「力」はありませんでした。明治維新において、この「力」の部分を担当したのが「雄藩」、すなわち、経済力や軍事力の面で特に秀でた藩です。雄藩はいくつも存在しますが、以下ではその中の代表格・薩摩藩と長州藩について簡単にご紹介しましょう。
まずは薩摩藩です。現在の鹿児島県に位置するこの藩は、桜田門外の変の後、島津久光が藩の実権を握ってから、中央政治への野心をより強く見せ始めます。久光は、幕府・朝廷・雄藩が互いに協力し合い、日本の政治を動かすという「公武合体」策を支持していました(ただし、公武合体は反攘夷ではありません。攘夷するにしても、みんなで協力して進めようという立場です)。これの実現に向け、久光は兵を率いて京都へと上り、そこからさらに江戸まで押し掛けました。その結果、いくつかの幕政改革が行われることになったのです。久光の目論見どおりになったと言ってよいでしょう。
ところが、その帰途、大きなトラブルが発生します。久光の行列の前で下馬しなかったとして、薩摩藩兵が英国人を斬り殺した「生麦事件」がそれです。この事件に怒ったイギリスは、薩摩藩に戦争を仕掛けます。文久三(1863)年に起きた「薩英戦争」です。薩摩はこてんぱんに敗北し、外国との力の差を思い知ります。ちなみにこの頃、薩摩藩の重要人物として東奔西走していたのが大久保利通や西郷隆盛でした。
続いて長州藩です。今の山口県に位置するこの藩は、当初は公武合体策・開国策に傾いていました。しかし、すぐに尊王攘夷派が藩内で優勢となり、さらには幕府に代わって朝廷が政治を行い、しっかりと攘夷を実現すべきであるという過激な考えにまで進むようになります。結局、長州は幕府と激しく対立する藩ということになりました。
そんな情勢の中で起こったのが「下関戦争」です。長州藩による外国船砲撃、すなわち実力による「攘夷」に始まり、長州と欧米列強の武力衝突にまで発展したこの戦争は、長州藩の惨敗に終わりました。長州藩も、薩摩と同じく、外国と自分たちの力の差を思い知ったというわけです。この頃の長州藩における重要人物が、桂小五郎(木戸孝允)や高杉晋作です。

京都の動乱
薩長両藩が欧米との戦争を行っていたまさにその頃、国内政治においても薩長の絡む大きな事件が続発します。
前述の通り、薩摩は幕府を巻き込んだ公武合体策を進めており、どちらかというと幕府寄りの立ち位置です。これに対し、長州は過激な尊王攘夷派で、幕府は潰れて構わないという立場。幕府とは激しく対立していました。当然、薩摩と長州の仲も悪いということになります。そこに起きたのが「八月十八日の政変」と呼ばれる事件でした。
文久三(1863)年の京都では、尊王攘夷派とそれを取り締まる幕府勢力がたびたび衝突していました。尊王攘夷派のいわば親玉として、朝廷に協力していたのが長州藩。尊王攘夷派を取り締まる側として幕府に協力していたのが薩摩藩でした。京都というのは朝廷の本拠地ですから、朝廷に近い長州の有利な土地柄ということになります。
ところが、その状況が一変します。薩摩藩などの幕府側勢力が、朝廷の公武合体派と協力し、京都から長州藩勢力を追い出したのです。その結果、京都は幕府とそれを支持する勢力によって掌握されました。これが八月十八日の政変です。
しかし、これでは長州藩はおさまりません。すぐにリベンジを企てます。その手段は単純明快、兵を率いて京都に入り、朝廷に嘆願することで再び勢力を回復させようというのです。その計画は実行され、実際に戦闘まで行われました。しかし、薩摩藩兵などの活躍により長州藩は目的を果たすことが出来ませんでした。しかも、京都で戦闘行為を引き起こしたことで、長州藩は「朝敵」(朝廷に刃向かう者)にされてしまいます。もはや勢力回復どころの話ではありませんでした。なお、この京都での戦闘を「禁門の変」といいます。

開国から攘夷、雄藩による欧米との戦争、そして長州藩の窮地。このままいけば、幕府と薩摩藩、朝廷などの連合政権が出来てもおかしくありませんが…しかし、歴史は意外な方向へと流れてゆくことになります。
幕末・維新史、続きは来月とさせていただきます。

 


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